中瀬古館/愛知県豊橋市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

中瀬古館は畦田(くろだ)氏の館でした。訪問日は2014年8月7日です。

中瀬古館①

中瀬古館のあった場所には、東雲寺があります。城跡なので、お城っぽく見えるように撮ってみました♪手前が馬小屋で、その奥が御殿・・・やっぱ、ちょっと無理がありますかねあせる


◆歴史◆

畔田(くろだ)氏の館でした。

城主としては畔田三郎兵衛の名が伝わっています。1557年に今川義元が畔田三郎兵衛に宛てた書状が残っています。地理的に田原城と二連木城の間なので、元は戸田氏の家臣だったものと思われます。中瀬古館や畦田氏についてはサッパリ┐(´д`)┌なので、周囲の事件を列記すると・・・

1460年代は、渥美郡分郡守護・一色氏の支配地でした。
1480年、戸田宗光が田原に進出し、一色氏を隠居に追い込む。
1493年、戸田宗光が北へ進み、二連木城を築く。
1505年、牧野古白が今橋城(吉田城)を築き、戸田氏との抗争が始まる。
1547年、戸田康光が竹千代を織田信秀に売り、今川義元に滅ぼされる。
1560年、桶狭間の戦で今川義元が織田信長に討たれる。

今川義元が討死した後、松平元康が今川家から独立を果たしました。松平元康は三河各地に転戦して勢力を拡大し、やがて東三河にも攻めてくるようになりました。この時、東三河のあった今川家の拠点が吉田城です。

1565年に松平家康により攻め落とされるまで、今川家臣の小原鎮実が城代を務めました。小原鎮実は吉田城を基点に、主に北側で松平方に寝返った土豪を討伐しています。吉田城が陥落するまでは、畦田氏も今川家臣だったものと思われます。


所在地:愛知県豊橋市野依町

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