小牧山城/愛知県小牧市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

小牧山城は山上に模擬天守があります。訪問日は・・・2007年5月4日ですあせる
※続日本100名城スタンプについては小牧山城/愛知県小牧市(2回目)を参照下さい。

小牧山城/①遠景
▲遠景

小牧山は濃尾平野の真ん中にポツンとある山です。ここに目を付けるなんて、流石は織田信長。平坦な濃尾平野では珍しい山城であり、尾張には小牧山城を見下ろす城は・・・ありませんよね???稲葉山城からは、他に山が無いのでとても目立ったそうですが。それがまた、織田信長の武威を美濃に示すことにもなりそうです。

小牧山城/②模擬天守
▲模擬天守

どこからどう登ったのか、もはや記憶にありません。何せ、8年も前の事ですので。当時は天守のある所ばかり回っていました。名古屋城、小牧山城、犬山城・・・コンプ!って感じですあせる主郭周辺には石垣があり、あちこちに土塁も残っているのだそうです。

昨年の夏休みは愛知の城廻りをしましたが、時間との勝負だったので行かず・・・もう一度じっくり見に行きたいお城です。どうせなら模擬天守をしっかり見たいので、葉っぱの無い季節がよさげですねw


◆歴史◆

織田家相関図

1563年、織田信長により築かれました。

前年から犬山城の織田信清と戦っていた織田信長は、小牧山に新たに城を築きました。織田信長が築いた最初のお城です。犬山城まで約10kmの至近距離であり、東西に長い織田信清の勢力圏を分断する位置にでした。織田信清は織田信長の従兄弟で、織田信秀の弟・織田信康の子です。織田信長が1558年から岩倉城の織田信賢を攻めた際は織田信長の味方をしましたが・・・勝利した後、領地の配分を巡って揉めたそうです。

1564年、犬山城の織田信清を降しました。

木曽川沿いに勢力を持っていた織田信清は、西の黒田城からの援軍が期待できなくなりました。さらに小牧山城から小口城は約5kmと近く、いつ包囲されても不思議ではなくなりました。そのため、小口城の中島豊後守と黒田城の和田新助は、織田信長に降伏しました。家老2人が降伏したため、織田信清も犬山城を守り切れないと観念したのか、降伏しました。織田信清は甲斐へ移って武田信玄の客将となり、犬山鉄斎と名乗るようになりました。中島豊後守と和田新助はともに織田信長に仕え、犬山衆と呼ばれました。

1567年、美濃の稲葉山城を攻略しました。

稲葉山城を攻め落とし、父・織田信秀の代から続いてた美濃の攻略が達成されました。これにより織田信長は美濃に本拠地を移し、地名を井口から岐阜に改めました。織田信長は岐阜城(稲葉山城から改名)を居城とし、小牧山城は廃城となりました。

1584年、小牧・長久手の戦で、徳川家康が本陣を置きました。

羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄が対立し、尾張が戦場となりました。この時、大垣城主で織田信長の側近だった池田恒興の去就が注目されました。池田恒興は羽柴秀吉方につき、犬山城を攻め落としました。小牧山城は濃尾平野では珍しい山城であり、展望が利く要地でした。徳川家康がいち早く小牧山を占領すると、羽柴秀吉が悔しがったとされます。ただ、あくまでも陣城として使われており、戦後は再び廃城となりました。

1967年、模擬天守が建てられました。

名古屋の実業家・平松茂氏が私財を投じて建設しました。当時は全国各地で鉄筋コンクリート製のお城が建てられた時期です。私財を投じたとは言っても勝手に建てた訳ではなく、当時の小牧市長の許可を得ています。模擬天守が完成すると小牧市に寄贈され、歴史館として現在も続いています。


所在地:愛知県小牧市堀の内

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