小口城/愛知県大口町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

小口城(おぐちじょう)は公園として整備されています。別名は大久地城、小久地城、於久地城、箭筈城など。訪問日は2014年8月2日です。

小口城/①櫓
▲櫓

まず目に付いたのは、茶色いノッポな櫓です。群馬の沼田城や兵庫の出石城などにも、こんな櫓があります。火攻めにするとよく燃えちゃいそうですメラメラ

小口城/②城址碑
▲城址碑

さらにはこんな立派な城址碑もあります。愛知縣グッジョブラブラブヽ(´ー`)ノ

小口城/③門
▲門

城址碑の脇の木橋の先には、こんな立派な門があります。白漆喰に狭間の開いた立派な塀に、瓦葺の立派な門。戦国時代末期をイメージしたんでしょうね。その頃にはとっくに廃城になってましたけどw

小口城/④城内
▲城内の様子

門をくぐって城内に進入すると、一応城跡であることを意識した感じの公園になっています。右側のこんもり盛り上がった所は、往時はもっと高低差があったのでしょうか。これだけ色々いじくってると、本物の遺構は無いんじゃないかという気がします。

◆歴史◆

1459年、織田広近により築かれました。

織田広近は尾張守護代・織田郷広の子です。小口城は東西約90m、南北105mで、二重の堀に囲まれていたそうです。出丸まで備えたかなり規模が大きなお城だったそうです。

1469年、織田広近が木ノ下城を築いて移りました。

守護代の兄・織田敏広の命により、美濃からの侵攻に備えるため木ノ下城を築いて移りました。木ノ下城は後の犬山城の前身となるお城です。

1475年、織田広近は再び小口に戻り、萬好軒を築いて隠居しました。

家督は次男の織田寛近(津田武永)が継いで城主となりました。嫡男の織田寛広は兄の養子となり、守護代の織田伊勢守家を継いでいたためです。織田寛近はいつなのか不明ですが、川村北城(名古屋市守山区)を築いて移りました。たぶん、応仁の乱後の尾張国内での争いがひと段落した頃だと思います。

兄・織田寛広が海西郡や山田郡に勢力を拡大したというのが、川村北城の進出かもしれません。川村北城の周辺にあったお城は、かなり後の時代になってから築かれたものばかりです。大きな勢力がいなくなったような感じですが、それが誰なのかはわかりません。

1491年、織田広近が没しました

小口城近くで隠居していた織田広近が没しました。その後の城主がはっきりしませんが・・・嫡男・織田寛広は岩倉城主、次男・津田武永は川村北城主でした。なので、三男・織田広忠が継いだのではないか?と推測します。

その後、織田伊勢守家も含めて詳細がわからない時期が続きます・・・
大雑把にですが・・・
1494年、美濃で船田合戦があり、清洲と岩倉の織田家も再び対立
1497年、岩倉織田家が後ろ盾としていた美濃の斎藤妙純が討死
1500~1510年頃、清洲の織田家から岩倉、犬山に養子が入る

こんな感じで、織田信長が家督を継いだ頃の城主は
・岩倉城:織田信安(清洲織田家当主・織田敏信の子)
・犬山城:織田信康(織田信長の父・信秀の弟)
です。

1562年、織田信長に攻められました。

この時に小口城を守っていたのは中島左衛門尉と子の中島豊後守でした。中島氏は織田信康の子・織田信清の家老を務め、小口城主となりました。もともとは丹羽郡井上庄を治めていたそうです。

丹羽郡井上庄といえば、有馬氏が治めていた井上城があった所です。有馬氏は尾張守護代・織田郷広への服従を拒んだために滅ぼされました。その後の井上庄の事がわからなかったのですが、中島氏が配置されていたんですね!

また、一宮市にあった中島城では、中島氏の去就がわからないと書いていました。こうやって別のお城を調べていると出てくることもあるのが嬉しいです恋の矢

話はスッ飛びましたが・・・小口城の守りは堅い上、中島左衛門尉は調略に乗らず抵抗しました。そのため織田信長軍は力攻めをして、惣構を打ち破りました。攻守双方ともに多数の戦死者を出しながらも、城は陥落しませんでした。

1563年、中島左衛門尉の子・中島豊後守が織田信長に降伏しました。

この年、織田信長は本拠地を清洲から小牧山城へ移しました。木曽川沿いに勢力を持っていた織田信清は、西の黒田城からの援軍が期待できなくなりました。さらに小牧山城から小口城は約5kmと近く、いつ包囲されても不思議ではなくなりました。そのため、小口城の中島豊後守と黒田城の和田新助は、織田信長に降伏しました。家老2人が降伏したため、織田信清も犬山城を守り切れないと観念し、降伏しました。

織田信清は甲斐へ移って武田信玄の客将となり、犬山鉄斎と名乗るようになりました。中島豊後守と和田新助は、ともに織田信長に仕えました。小口城はその後、いったん廃城になったようです。

1584年、小牧・長久手の戦で陣が置かれました。

陣を敷いたのは稲葉一鉄です。稲葉一鉄はこの戦いで、岩崎山砦にも陣を置いています。両者の位置関係を羽柴秀吉が本陣とした楽田城と比較すると・・・小口城が楽田城より後、岩崎山砦が楽田城より前です。なので、稲葉一鉄ははじめ小口城跡、後に岩崎山砦に前進したと思われます。稲葉一鉄はこの時既に70歳で、戦場に出たのはこれが最後だったそうです。この4年後に、居城の美濃国清水城で没しました。

明治時代末~大正時代、大口第二小学校が置かれました。
1994年と1996年に発掘調査が行われ、井戸跡が発見されました。
1999年、城址公園として整備されました。


所在地:愛知県丹羽郡大口町小口

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