鳥栖城/名古屋市南区 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

鳥栖城跡には成道寺があります。訪問日は2014年8月4日です。

鳥栖城/①成道寺山門
▲成道寺山門

成道寺は「じょうどうじ」と読みます。成田氏の菩提寺ということで「成」の字が入っているのでしょうか。住宅街の中にあって、ちゃんと立派な山門がありますラブラブ

鳥栖城/②成田夫婦の墓
▲成田夫婦の石仏

境内にひっそりあるのが、成田夫婦の石仏です。山門をくぐるとすぐ見えた・・・かと思いますあせるこの石仏は「夫婦地蔵」として親しまれているのだそうです。


◆歴史◆

応仁の乱の頃、成田時重により築かれました。

成田時重がどのような人物かわからずあせる名前から推測すると関東から来たのか?などとも思えますが・・・成田義次の代に寺部城の山口盛重の娘を娶り、その重臣となりました。

1559年、廃城となりました。

廃城の経緯などサッパリわからずあせる成道寺の境内に夫婦の石仏があることから、同時に亡くなったということでしょうか。だとすると、タイミング的には山口教継とともに滅ぼされた可能性が高いと思われます。山口盛重の家系は織田信長サイドだったので、身内として菩提を弔ったのでしょうか。山口教継の本拠・桜中村城から、一番近くにあるお城が鳥栖城でした。

1774年、城跡に成道寺が建立されました。

尾張藩士・成田甚右衛門は録を返上し、帰農しました。

尾張の成田氏というと、『のぼう様』こと成田長親が思い浮かびます。小田原征伐の後、下野国烏山に居たのですが・・・当主である成田氏長と不和になり、尾張に流れて来たのだそうです。しかし、こちらの成田氏は大光院を菩提寺としていますので、完全に別系統ですね。ということで、ここの成田氏は細々ながら続いていたということでしょうか。成道寺の寺伝では・・・

『取隅城(鳥栖城)の城主・成田家の菩提寺が鶴松寺であった。尾張志によれば、天正2年(1574)春公和尚の時、改宗されたともある。これより200年後の安永時代に、鳥栖城主・成田甚右衛門は、「和を愛する」として、徳川家に禄高を返上し、刀を折り、武士を放棄して農民となった。安永3年(1774)、熱田秋葉山・円通寺15世代和尚の法地再興のねがいによって、曹洞宗・成道寺と改号せられた。(尾張徇行記)成田家は、菩提寺の廃寺を危惧し、鳥栖城跡に芳樹山・成道寺を再興したのである。』

国語苦手だったのでよくわからないのですが・・・菩提寺である鶴松寺が廃寺となったため、城跡に新たに寺を築いた、のだと思いますあせる


所在地:愛知県名古屋市南区鳥栖2丁目(成道寺)

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