愛宕山城/長野県小諸市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

愛宕山城は公園となっています。
訪問日は2013年7月31日です。

鴇久保愛宕山城/①公園の石碑
▲公園の石碑

「愛宕山城」というお城は全国各地にたっくさんあります。「要害」とか「根古屋」もいっぱいありますけどwググったら長野県内にもあるので、区別するため「鴇久保」を付けることもあります。

さて、一応「公園」なので城址碑だけ撮るつもりで行きました。でも、何だかとってもっぽいwその中に石碑が見えたので近づいてみたら・・・

「愛宕山記念公園」と彫られていました。

場所は合っているようです。造成されたただの草野原という感じだったので、そのまま次へ向かいましたあせる


◆歴史◆

築城時期、城主とも不明です。地理的に小諸から楽巌寺城に登る途中にあり、その支城と思われます。愛宕山城単体の歴史はわからないので、以下に楽巌寺城攻めの概略を書きます。

1543年、武田晴信が佐久地方に侵攻しました。

この戦で武田軍は大井氏を屈服させ、望月氏を攻めました。望月氏の当主は降伏して自害しましたが、一族の望月盛時は楽巌寺城で抵抗を続けました。

1545年、望月盛時が武田晴信に臣従しました。

同じ滋野一族の真田幸隆に説得され、武田軍への抵抗をやめました。盛時の次男である新六はまだしばらく抵抗したようですが、程なく従うようになりました。しかし、楽巌寺雅方や布下雅朝は村上義清の支援をとりつけて抵抗を続けました。

1548年、武田軍に攻められて落城したと伝わります。

楽巌寺城には楽巌寺雅方が篭っていました。武田晴信は村上義清を攻めており、その前哨戦だったと思われます。この戦いで楽巌寺城やその支城が武田軍に攻め落とされています。楽巌寺雅方と布下雅朝は村上義清のもとに逃れ、更に抵抗を続けます。両名は、1553年に村上義清が越後へ逃れた時に武田軍に降伏し、武田家臣となりました。


所在地:長野県小諸市大久保

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