上穂城/長野県駒ヶ根市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

上穂城跡は大法寺になっています。訪問日は2013年7月29日です。

上穂城/大法寺
▲大法寺

上穂と書いて「うわぶ」と読みます。※2018年11月1日に指摘をいただき修正しました
何も無いですが、地形がお城っぽいというので寄りました。城塁っぽい段差と石垣がいい雰囲気醸し出しています♪遺構は無く、説明板や標柱の類も見当たらず。他のアングルといっても、全体がよく見えるのはこの角度だけ。・・・ということで、写真はこの1枚だけですあせる


◆歴史◆

上穂氏の居城でした。

築城年は不明ですが、戦国時代に上穂氏が居城としていました。上穂氏は諏訪大祝家庶流の藤沢氏に仕えました。武田信玄と諏訪氏との戦いでは、藤沢氏は諏訪氏側として戦っています。上穂氏も藤沢氏の配下としてともに戦ったのでしょう。

1542年、武田信玄が諏訪頼重を滅ぼしました。
同年9月、武田信玄が高遠頼継を破り、藤沢頼親は武田軍に降りました。
1544年、高遠頼継と藤沢頼親が離反し、武田軍に攻められましたが撃退。
1545年、高遠頼継が武田軍により高遠城を追われ、藤沢頼親は降伏。
1548年2月、武田信玄が村上義清に敗れ、藤沢頼親は再び謀反。
同年7月、小笠原長時が武田軍に大敗し、藤沢頼親は降伏。

その後、年は不明ですが、藤沢頼親は追放され京へ逃れました。
・・・とまぁ、城主の藤沢頼親は武田信玄と何度も戦い降伏していました。

1554年、武田信玄が伊那に侵攻し、軍門に降りました。

上穂氏も小笠原氏や片桐氏らとともに武田軍に抵抗しましたが・・・神之峰城が陥落すると、上穂重清は片桐氏や飯島氏、大島氏、赤須氏らとともに降伏しました。この戦いで上穂氏は上穂重清との続柄は不明ですが、上穂重勝が討死しています。

1556年、廃城になったと思われます。

1555年の第二次川中島合戦中に、上穂清重らが反武田の兵を挙げ、木曽氏を攻めました。このため、武田軍は乱を鎮圧し、翌年、乱を首謀した上穂清重ら8氏が処刑されました。人々は彼らの首を艮城の東に葬り、八人塚を築いて弔いました。城跡にある大法寺の開基が1562年のため、この時に城は廃されたものと思われます。


所在地:長野県駒ヶ根市赤穂北割(大法寺)

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