なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
小島城は古川の街を見下ろす峰にありました。
訪問日は2012年8月7日です。
小島城/①林道の突き当たりに!
▲林道の突き当たりにある説明板と案内板

地図を見てて「どこから登るのが一番ラクだろう?」と考えるのが人の常。
そうやって見てると、北東から続いている道が輝いて見えました。
県道75号を古川から神岡方面にちょっと走って右側へ。
林道入口に牛舎があったような気がします。
とても臭ったのでw

林道の入口には柵がしてあって入れないのかと思いました。
けど「開けたら閉めて」的な事が書かれていたので、遠慮なく入りました^^
田舎でよく見掛ける獣避けの柵ですが、この柵を開けたのはこの時が始めてでした。

そこからしばらく走ると砂利道になり・・・
そのドンツキが上の写真です。

この砂利道は車なら何の問題も無く走れますが・・・
バイクで走るのはオススメできません。
私は無理して走りましたが、出来れば下の図の登城路から登ることを勧めます。

小島城/②案内図
▲案内図

案内図はとても綺麗で、まだ新しいようでした。
この図を見ると、城跡に続く道が3本描かれていますが、いずれも車両通行不可。
走ってきた林道は、図では右上の端っこにちょこっと描かれているヤツです。

小島城/③案内図から城跡を見上げる
▲案内図から回れ左!

さて、着いたヽ(´∀`)ノってことで城内へ侵入開始。
駐車場から回れ左して見えるのが上の写真です。
行く手を阻むような土の壁・・・
征服本能をくすぐりますラブラブ

小島城/④主郭の物見台
▲主郭にある高台

征服なんてのは大袈裟で、ちゃんと歩けるように通路が整備されています。
アップダウンが激しいのは当たり前で、主郭の突き当たりには高台がありました。

小島城/⑤三郭の古城
▲二郭から見た三郭

そこで行き止まりなのかと思いきや、その先にもまだ郭が。
一段低く削られたと思しき削平地の向こう側に、骨組みだけの小屋がある郭が見えました。
これが三郭で、元々は主郭だったため「古城」と呼ばれているそうです。

小島城/⑥城址碑
▲城址碑

山中で興奮状態にあっても、こういう物を見落とすおいらではありません!
・・・ただ、何処にあったのかはもう覚えていませんが(爆)

小島城/⑦石垣の跡?
▲石垣?

三郭の縁にあったと思われる石垣っぽい所です。
この手前の二郭の北側にはもっと立派なヤツがあるそうですが・・・
やっぱり無知って限りなく悲しいものですwww


◆歴史◆

南北朝時代に築かれたと考えられています。

姉小路家綱は建武の新政で飛騨国司に任命され、向小島城を居城としていました。
1371年、越中の前守護・桃井直常が挙兵した際、姉小路家綱は桃井氏へ援軍を送りました。
桃井・姉小路連合軍は越中守護・斯波義将に大敗したため、姉小路家綱一時没落しましたが・・・
1378年、姉小路家綱は飛騨国司として復活しました。
姉小路氏は家綱の3人の子が小島氏・向氏・古川氏として分かれました。
嫡流の小島師言が小島城を居城としたことから、1390年までには築かれていた事になります。

1411年、小島城が室町幕府軍により攻め落とされました。

姉小路氏が3氏に分裂した後、小島氏が嫡流となり、古川氏が飛騨国司を継ぎました。
小島氏と古川氏の間で所領を巡る争いがあったようで、向氏が仲裁していたようです。
しかし、幕府の裁定は小島氏に優位なものとなったため、古川尹綱がブチ切れました。
小島・向両家の当主が都に居るため、両家の本拠は簡単に占拠しましたが・・・
味方を募ったところ、応じたのが広瀬氏のみで、軍勢は500にも満たない人数でした。
一方、幕府は古川尹綱追討を命じ、飛騨守護の京極勢を中心に5千の軍勢で攻め寄せました。
古川軍は最後まで小島城で抵抗を続けましたが落城し、古川尹綱と広瀬常登は斬首されました。
しかし、古川尹綱の遺児・昌家は小島師言が引き取り、後に古川氏を復興しました。

1468年、応仁の乱で、ご他聞に漏れず姉小路氏も分裂しました。
小島勝言は飛騨守護・京極氏の助力を得て、1473年に古川・向両氏を飛騨から追放しました。
しかし、間もなく小島勝言が没したため、古川基綱が飛騨に復帰。
小島領を引き継ぎ、小島勝言の遺児・小島時秀の後見となって自らの娘を嫁がせました。

姉小路一族は暫くは争いが無くなりましたが・・・
当主は都住まいだったため、在地の古川富氏や京極氏家臣・三木重頼が徐々に力をつけました。

1516年、江馬氏が三木氏に対し挙兵、姉小路氏と三木氏が連携し撃破。
この頃はまだ姉小路氏も健在でしたが・・・

1527年、姉小路済俊が急死。
1530年以後の姉小路高綱の消息が不明。

など不可解な事件が相次ぎ、古川富氏が「古川殿」と呼ばれるようになりました。
1531年、三木直頼は小島・向両家と組んで古川富氏を攻め、富氏は討死しました。
古川氏と小島氏の同族争いはこの後も続き、姉小路氏は次第に没落していきました。

1554年、三木良頼が家督を継ぐと、近隣諸勢力を次々と傘下に収めて勢力を拡大しました。
1559年、三木良頼は嫡男・自綱に姉小路氏の名跡を継がせ、飛騨国司叙任に成功しました。
1560年、三木良頼は自らも姉小路姓を名乗るようになりました。

こんな事は本家本元の3家が健在なら許す筈は無いのでしょうが・・・
この頃は既に小島氏も三木氏の配下となっていたようです。

1582年、姉小路自綱が宿敵・江馬輝盛を滅ぼして飛騨一国を平定。
しかし、姉小路氏(三木氏)の世は長く続きませんでした。

1585年、小島城が金森長近に攻め落とされました。

姉小路自綱が豊臣秀吉に討伐されました。
これは姉小路氏が佐々成政と組んでいたからですが・・・
小島氏は姉小路氏の配下だったため、金森長近に攻められ落城しました。
この時に廃城になったものと思われます。


所在地:岐阜県飛騨市古川町沼町

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