上熊野城/富山市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

上熊野城は県道沿いの神明社辺りにあったとされます。訪問日は2012年8月7日です。

上熊野城/神明社
▲神明社

確か・・・この辺の・・・道沿いの・・・神社・・・なんてブツブツつぶやくと大抵迷いません。だって、神社ですからw木がこんもりある所を目指せばokです!

上熊野城/説明板
▲説明板

そして道沿いにあった説明板をパチリ!で次へ・・・ちゃんと読めば、裏に土塁があるって書いてあるのに~~~あせる


◆歴史◆

築城時期は不明です。
天文年間(1532~55年の間)には、二宮右衛門大夫が居城としていました。

1571年、二宮氏は、上杉方の津毛城を攻めました。

二宮氏は越中守護代・神保長職に仕えていました。この頃の越中は神保氏が西部、椎名氏が東部を支配して争っていました。神保長職は椎名康胤をあと一歩の所まで追い詰めましたが、上杉謙信の援軍に阻まれました。神保氏は上杉氏との間で離合を繰り返していました。1571年に神保氏は一向一揆を和睦し、再び反上杉となりました。この時に二宮氏は津毛城を攻めましたが、撃退されています。

1574年、二宮氏は上杉方となっていました。

この頃、神保長職は没したと考えれていますが、はっきりしていません。神保氏の家督は次男・神保長城が継ぎ、反上杉の姿勢を続けました。しかし、上杉氏から離反した椎名氏が滅ぼされると、周囲は上杉領となりました。すぐ北の太田保には上杉家臣・河田長親がやって来て、今泉城を築いています。神保氏は衰退の一途を辿っており、この時に上杉方となったのでしょう。

1578年、上杉軍の攻撃により焼かれたと思われます。

加賀の一向一揆を平定しつつあった織田信長は、越中にも勢力を伸ばしてきました。この時に越中攻めの先鋒を務めたのが神保長住です。神保長住は神保長職の嫡男ですが、父と対立の末に出奔して織田信長に仕えていました。二宮氏は神保長住に仕えるようになり、上杉軍と戦っています。

浄蓮寺の記録では、上杉軍より焼かれた城跡に二宮氏がお寺を建立したそうです。


所在地:富山市上熊野(浄蓮寺・神明社)

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