今泉城/富山市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

今泉城跡は現在いま泉病院となっています。訪問日は2012年8月7日です。

今泉城/01日枝神社
▲日枝神社

跡形も何も無い所に行く気になれずということで、城址碑のある日枝神社に。町の中にぼつりとあるコンパクトな神社で、社殿の脇に城址碑と説明板があります。

今泉城/02城址碑と説明板
▲城址碑と説明板

で、城址碑目当てに飛んできた夏の虫でしたが・・・表面ピカピカで文字が写らない( TДT)イイ石を鏡のように磨いてとても立派ではありますが。黒地なので後ろの白い建物を写し込むと・・・文字は見えますが、建物もそのまま写りますwこんな手ごわい城址碑を綺麗に撮る方法知ってたら教えて下さいm(_ _)m


◆歴史◆

1574年、河田長親により築かれました。

今泉城周辺は越中新川郡守護代・椎名康胤の支配圏でした。椎名康胤は神保長職と争い、上杉謙信を頼りました。しかし、1568年になぜか武田信玄に寝返り、居城の松倉城を追われていました。以後、越中一向一揆に合流しましたが、1571年に上杉軍に敗れました。椎名康胤の領地はそのまま河田長親に与えられました。今泉城は飛騨へ通じる国道41号近くにあります。今も昔も交通の要衝なんですね。

1578年、織田軍に攻められ落城しました。

上杉謙信が没すると、上杉家中では家督争い「御館の乱」が起きました。織田信長はこの機に越中へ攻め込みました。

飛騨の神保長住、斎藤利治の軍勢が今泉城を攻めましたが撃退しました。しかし、河田長親が追撃に出た所を、城生城の斎藤信吉に攻め落とされました。河田長親は本拠・松倉城を中心に織田軍への抵抗を続けましたが・・・戦の最中に松倉城で没しました。

1581年、廃城になったものと思われます。

椎名駿河守が織田軍に味方し、今泉城辺りの「太田保」を与えられています。椎名駿河守は椎名康胤の養子・長尾景直ではないかと考えられています。長尾景直は1581年に没しており、この頃に今泉城は廃城になったと考えられます。


所在地:富山市今泉

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