帆柱山城/福岡県北九州市八幡西区 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

帆柱山城は花尾城の南西にある帆柱山の山頂(488m)にありました。訪問日は2013年12月30日です。

帆柱山城/①登山口にある案内
▲花尾城の城址碑近くで道が分岐します

帆柱山への登山道はいくつかあるようですが、花尾山城から登りました。花尾城の二の丸と三の丸の間から、南へ道が分かれています。この道を下った所に花尾城の城址碑があり、その脇に写真の案内があります。「ふれあいの森コース」だけでは何だかさっぱりわかりませんが・・・ちゃんと小さく「←帆柱山」が貼ってありました^-^

帆柱山城/②登山道
▲帆柱山への登山道

この道は半分以上は山の斜面に沿って緩い坂道になっています。この斜面、沢の部分で崩れている所が目立ちます。まるで天然の竪堀ですね。大雨なんかで崩れてしまうと、斜面を横移動できなくなります。

登山道を進んでいると、いつ山頂に着くんだろう?と思えてきます。坂は緩く、ひたすら横移動が続きます。ところが「あと500m」の案内の所から様相が一変します。そこから九十九折れの道に変わり、斜面を一気に登る道に変わるからです。坂も普通にキツクなり、10歩歩くごとに息を切らせて休憩しました。

帆柱山城/③あと95m

帆柱山城/④段郭
▲山頂まであと95m。右に進む道の脇にある段郭

九十九折れの道に疲れた頃、道の分岐に辿り着きます。その案内の下に小さく「帆柱山頂まで95M」と書かれています。あと一息!と気力が沸いて来ました。

ここでキョロキョロしていると、ちょっと気になる地形が。右に下って行く道の脇が、、、何だか、、、不自然?よーっく見ると、階段のように2、3mおきに段状に加工されていました。どうやらここから城域のようです。

帆柱山城/⑤あと一息

帆柱山城/⑥石垣跡?
▲山頂まであと少し。道の脇には石垣跡らしきものが

ここから山頂の方を見ると階段が。この階段を登ると何か見れるかも!とワクワクしながら登ると・・・段郭がいくつの続いている中で、石が沢山ある所がありました。土が落ちて岩が露出したという感じではなく、何となくですが積まれたように見えます。石垣の跡?と勝手に解釈して勝手に喜んでいますが、どうでしょう?w

帆柱山城/⑦本丸
▲帆柱山城の本丸

階段を登りきった所からは2、3段の郭を通り過ぎ、最後の坂を登ると頂上に着きました。山城の本丸って狭いですねw

帆柱山城/⑧本丸のすぐ下にある郭
▲本丸のすぐ南にある郭

本丸のすぐ下には、少し広い郭が見えました。下りる道はわかりませんでしたがあせる山頂は物見台で、お城の建物はこっちのちょっと広い郭にあったかもしれません。

帆柱山城/⑨眺め
▲帆柱山山頂からの眺め

期待した眺めですが・・・木々が生い茂っているので、そんなに良くはありませんでした。辛うじて北西の遠賀川一帯は見えましたが、花尾城は見えませんでした。


◆歴史◆

帆柱山城の築城時期は不明ですが、花尾城の南側を補う支城として機能していました。このお城であった大きな出来事は、鎌倉時代末の規矩・糸田の乱です。

1333年、鎌倉幕府が滅亡。
1334年1月、最後の鎮西探題・北条英時の子・高政が、帆柱山城で挙兵。
1334年7月、大友氏や少弐氏を中心とした軍勢に攻め落とされた。

北条高政(規矩高政)は父・北条英時が自害した後、山鹿政貞の元に雌伏していました。その年の末に実弟で田川一帯の領主・糸田貞義と謀って挙兵。この時、北九州の山鹿氏や麻生氏、長野氏、門司氏などが味方になったそうです。

帆柱山城は花尾城の支城ですが、逆に花尾城を押さえないと帆柱山城へは進めませんでした。花尾城は郭と郭が険しい斜面で区切られており、中々の堅城でした。しかし、この花尾城の麻生氏が途中で寝返ったため、帆柱山城も攻め落とされました。北条高政と糸田貞義は城を脱出しましたが、それぞれ捕らえられて討ち取られたそうです。

他には特にエピソードなど見つからず(;´Д`)花尾城が目と鼻の先にあるので、歴史はほぼ同じと思われます(;´Д`)・・・ということで、花尾城の歴史を参照下さいあせる


所在地:福岡県北九州市八幡西区市瀬(帆柱山)

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