結城合戦(1440年) | なぽのブログ

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・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

各城の歴史で、色々時代背景を書くことがあります。あくまで「時代背景」なので、本題ではないのですが・・・「脱線」が長くなり過ぎることが度々wということで、長くなりがちな「脱線」をまとめ、各城にはリンクを貼ることにしました。読みたい人は読んで下さいラブラブといった感じです。
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結城合戦は、1440年に主に結城氏が室町幕府に対して起こした乱です。永享の乱(1438~39年)よりも規模が大きく、関東での戦国時代の始まりと言われています。

1238~39年、永享の乱で足利持氏が幕府に討伐され、上杉憲実により討たれました。

乱鎮圧後に上杉憲実が関東管領を辞し、憲実の弟・上杉清方が関東管領を代行しました。(上杉憲実には4人の子がいましたが、全員出家させて還俗することを許しませんでした)しかし、鎌倉公方は任命されず、足利持氏を支持した派閥は旗頭を失うこととなりました。さらに、室町幕府将軍・足利義教が子を鎌倉公方に据えようとしました。

反発した結城氏ら持氏方残党は、足利持氏の遺児(春王丸、安王丸)を擁して乱を起こしました。そのため、幕府は上杉清方を総大将として討伐を命じ、結城城を攻め落としました。結城氏朝はこの戦いで討死。春王丸、安王丸は捕らえられ、京へ移送中の美濃で殺害されました。

しかし、乱後に上杉清方が越中で突然世を去ります。上杉清方自身は生前の足利持氏とはとても仲が良かったそうで・・・足利持氏の子に自ら手をかけたことを悔い、自害したという説が有力です。