庁鼻和城/埼玉県深谷市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

庁鼻和(こばなわ)城跡には国済寺があります。訪問日は2013年10月12日です。

庁鼻和城/国済寺
▲国済寺本堂

国済寺は国道17号線沿いにあります。この国道は中山道なので、庁鼻和城は中山道沿いにありました。本堂の手前には説明板があります^^

庁鼻和城/上杉氏歴代の墓
▲上杉氏歴代の墓

本堂の左脇をくぐり抜けると、そこには上杉憲英をはじめとする歴代当主の墓があります。関東管領一族なりの立派なお墓ですね^^

庁鼻和城/土塁跡
▲土塁?築山?

さらに奥に進むと、柵に囲まれた土盛りが現れます。上杉氏の館はお寺の北にあったというのですが・・・お寺は館の敷地内に築かれていたので、お寺の築山かもしれませんね。

竹に二羽飛び雀①
▲竹に二羽飛び雀紋①

さて、歴史好きとは言っても色々ジャンルがあるかもですが・・・今まで家紋には大して興味がありませんでした。なので、今まで書いたブログには全くと言っていい程、家紋は出てきません。

竹に二羽飛び雀②
▲竹に二羽飛び雀紋②

ですが、国済寺にはそこかしこに上杉氏の家紋があり気になりました。この家紋、ちょっと凝ってる上にかわいらしいので ∪´∀`)

竹に二羽飛び雀③
▲竹に二羽飛び雀紋③

この紋は「竹に二羽飛び雀紋」というそうで、山内上杉氏の家紋とそっくりです。インターネットで調べた山内上杉氏の家紋も「竹に二羽飛び雀紋」なのですが・・・ちょっと違うのです。本家と同じ家紋を使うのを憚ったのでしょうかね?w

もしかしたら気のせいかもしれないのですが、庁鼻和上杉氏のは左の雀の口が開いてます。これに対して、本家のものは両方とも口を閉じています。更に、表情も怒ってる感じでへの字口だったりします。

こういうのを集めて回るのも、城めぐりの楽しさの1つなんだと知りました^-^


◆歴史◆

庁鼻和城は関東管領・山内上杉憲顕の6男・憲英により1370年頃に築かれました。憲英の系統は「庁鼻和上杉氏」と呼ばれています。

当時の状況は室町幕府方の北朝と、朝廷方の南朝が全国で争っていました。関東では南朝の新田義貞の子・新田義宗が越後・上野を中心に活動し、鎌倉を窺っていました。

1358年には室町幕府初代将軍・足利尊氏が死去。さらに1367年には2代将軍・足利義詮と鎌倉公方・足利基氏が相次いで没しました。

それまでに旧南朝方の河越氏や高坂氏、宇都宮氏などが各守護職を解かれていました。幕府方トップの相次ぐ死去に、倒幕の機運が一気に高まりました。

1368年、関東管領・上杉憲顕が上洛した隙に河越直重を中心とする武蔵平一揆が蜂起しました。武蔵平一揆の勢力はほぼ武蔵一国に跨っており、鎌倉と上野国を遮断する配置となりました。また、これに呼応して越後の新田義宗、下野の宇都宮氏綱が挙兵しました。

しかし、上杉憲顕は慌てずに政治工作を進め、幕府を味方につけて乱を鎮圧しました。上杉氏はこの乱を鎮めることで越後・上野・武蔵・伊豆の守護職を手に入れました。上杉憲顕は陣中で病没しましたが、憲顕の子らが各地に配されて要所を固めました。

・・・ということは、庁鼻和城が築かれたのはこの時かもですねw

憲英が備えた新田氏は、上野国新田荘(今の群馬県太田市)に勢力を持ち続けていました。地図を見ると、太田市から鎌倉へは北から南へ一直線ですね。

1390年、深く仏道に帰依した憲英は、城内に国済寺を開基しました。
1404年、上杉憲英が没し、は嫡男の上杉憲光が家督を継ぎました。
1416年、上杉憲光は上杉禅秀の乱で討死。家督は上杉憲信が継ぎました。
1441年、結城合戦で上杉憲信が結城城を陥落させるなど大活躍。
1455年、鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠を暗殺し、享徳の乱が勃発。

足利成氏が北関東で上杉方の長尾景仲、宇都宮等綱を攻め、各地で勝利を収めていました。しかし、その間に室町幕府は駿河の今川範忠に成氏討伐を命じ、鎌倉を攻め落としました。鎌倉を失った成氏は、支持者である結城、小山、里見氏に近い古河を新たな本拠としました。ここから上杉氏と古河公方の20年以上に渡る戦が始まりました。

両陣営は五十子で対陣するようになりました。庁鼻和城は五十子からすぐ南にありましたが、方形館では守備が心もとなかったのでしょう。

1456年、上杉憲房は深谷城を築いて本拠を移し、庁鼻和城は廃城となりました。深谷城も平城でしたが、厳重な堀を幾重にも巡らせた戦闘的なお城でした。憲房以後は「深谷上杉氏」と呼ばれるようになりました。

深谷上杉氏はその後、山内上杉氏陣営として扇谷上杉氏や後北条氏と戦います。
1553年、主家・山内上杉氏が越後へ逃れると、後北条氏に降りました。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐では後北条方として戦い、所領を失いました。


所在地:埼玉県深谷市国済寺(国済寺)

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