多気山城/栃木県宇都宮市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

多気山城は多気山全山に及ぶ大規模な山城でした。訪問日は2013年10月29日です。

多気山城/遠景
▲遠景

遠くから見た多気山です。この山全体が宇都宮氏の要塞でした!・・・と知ったのはついさっきですw

多気山城/登城口
▲登城口

登城口は多気不動の手前にあります。記憶を辿ると、クルマも停められるスペースがあったような気がします^^;

多気山城/虎口
▲虎口

登城路は整備された山道といった感じでした。当時は気が付いていませんでしたが、登り始めるとすぐに城域だったんですね。土塁かな~?、空堀かな~?、虎口かな~?、は多分みんなそうだったのかも。

多気山城/主郭
▲主郭

登城口から15分で主郭に到着です。ここはパッと開けていてわかりやすいです^^

多気山城/主郭の土塁
▲主郭の土塁

主郭はぐるっと1周土塁で囲まれています。山城だからこそ開発されずに残ったのでしょうね^^

多気山城/腰郭
▲腰郭

山を下る時、道に添って細い広場があるのに気付きました。何気なく撮ったのですが腰郭です。当時は城の構造とか何も知らずに登ったので、また行ってみたい所です^^


◆歴史◆

築城時期は不明ですが・・・
宇都宮氏の祖・藤原宗円が平安時代の1063年に築いたという説があります。藤原宗円は同年に下野国守護職および下野国一宮別当職、宇都宮座主となりました。はじめは山城の多気山城を居城としたようですが、後に宇都宮城を築いて移ったとされます。

麓の多気山不動尊の本尊は、宗円が戦勝祈願のため作らせた不動明王坐像です。宗円は下野のみならず常陸西部にも勢力を伸ばしており、小田氏の祖でもあります。

また『宇都宮弥三郎国綱御家臣記』や『若目田氏系譜』には多気城主について記述があります。これらによると、1573年8月にあった戦で多気城主が手柄を立てたそうです。・・・ということは、この頃までには既に城があったということになります。

明確な記録が残るのは、宇都宮国綱による築城です。1576年12月2日に着工し、その月の25日に完成したそうですが・・・山を丸々1つお城にするのに1ヶ月もかかっていないことから、改修と考えられています。

改修が終わると、国綱は本拠を宇都宮から多気山へ移しました。宇都宮城は平城であり、激しさを増す後北条氏の攻撃に耐えられないと考えたようです。

1590年、豊臣秀吉により後北条氏が滅ぼされました。秀吉は小田原から宇都宮城に移り、俗に言う「宇都宮仕置」を行いました。秀吉の在城は会津への視察から戻った後も含めて20日に及んだといいます。ここで奥州や関東の諸大名に対し、所領を安堵する朱印状を渡したそうです。

宇都宮氏も豊臣方として小田原に参陣し、下野18万石を安堵されましたが・・・1597年に改易されました。理由は太閤検地の際に石高を偽ったことや、浅野長政との養子縁組の失敗が挙げられます。この時に多気山城も廃城となったようです。


所在地:栃木県宇都宮市田下町

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