葛西城/東京都葛飾区 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

東京都の在庫ラストは葛西城です。訪問日は2013年5月5日です。

葛西城/青戸7丁目東交差点
▲青戸7丁目東交差点

葛西城はとてもわかり易い場所にありました。なんたって環七になってますのでw青戸7丁目東交差点周辺が城跡です。

葛西城/御殿山公園
▲御殿山公園

この交差点の北寄りに、環七を挟んで両側に公園があります。まずは西側にある御殿山公園から。

葛西城/御殿山公園の様子
▲御殿山公園の様子

御殿山公園は環七沿いにある細長い公園です。公園内は木が植えられ、ちょっとした散策路といった感じです。そこかしこにベンチがあるので、ゆっくりくつろげます。

葛西城/説明板1
▲航空写真と地図付の説明板

この公園の南側(交差点寄り)に説明板が集中しています。まずは大きなものから。設置者が誰なのかは記載がありませんが、かなり立派です。航空写真と地図まで載っていますから。ここまでできるのはやはり国でしょうかね。

地図を拡大して撮ったのですが、うまく撮れませんでした。゜(゚´Д`゚)゜。この地図は現在の地図に堀跡がどこなのかが書き込まれたものでした。・・・ということで、下のGoogle Mapに堀跡を線で描いてみましたm( __ __ )m

葛西城/説明板2
▲東京都教育委員会様による説明板

さらに!東京都の史跡といえば東京都教育委員会様。葛西城跡にもお馴染みのヤツがありましたヽ(´ー`)ノ

葛西城/青砥藤綱城址碑
▲青砥藤綱城址碑

そしてさらに!青砥藤綱城跡の碑まで!青砥藤綱って誰だろうw・・・後でゆっくり調べよう。

葛西城/葛西城址公園
▲葛西城址公園

今度は環七を渡って葛西城址公園へ。

葛西城/葛西城址公園の様子
▲葛西城址公園の様子

名前はバッチリなのですが・・・説明板の類は全く無し。こっちに設置した方が迷わずに済むと思うのですが。歩道に沿って街路樹が植えられ、内側はちょっとした広場になっています。訪問時はお子様達がキャッチボールをしていました。

葛西城/環七
▲城跡は環七の下に・・・

環七の工事の時に一応ちゃんと発掘調査はしたらしいです。そこで色々出てきたそうなのですが・・・思い止まってはくれなかったんですね( TДT)「遺構保護のため」埋め戻され、予定通り立派な道が造られました。いつか環七が移転して本格的に整備される、なんてのは絶望的ですねショック!


◆歴史◆

築城年・築城者は不明ですが、鎌倉時代に葛西氏により築かれたとする説が有力です。下総国の西端に位置し、上杉氏や後北条氏が武蔵側からの進出拠点としていました。大きな戦は1538年と1564年の2度、国府台合戦がありました。

1538年の第一次国府台合戦は、相模から進出してきた後北条氏と小弓公方の争いです。互いに勢力が拡大した結果、江戸川を挟んで隣接するようになりました。両者ともに勢いがあったので、互いに脅威に感じたのでしょう。

ただこの戦、本来の目的が違っていたようで・・・小弓公方・足利義明は、当初は古河公方の関宿城を目指していたという説が有力です。関宿城は国府台の北にあり、利根川と江戸川が分岐する水上交通の要衝でした。そこを押えようと挙兵した所、ご近所の後北条氏が反応したといった感じです。この戦で義明が討死したため後北条氏が勝利。後北条氏は下総国を新たに支配下に収めました。

一方、義明側だった里見氏も、義明討死により空白地帯となった上総国を手に入れました。結局、戦を起こした本人だけが全てを失いましたあせる

1564年の第二次国府台合戦は、この後北条氏と里見氏が戦いました。お互いに勢力を拡大しようとしていたので、当然の流れではありますが。発端は上杉謙信が里見氏と一緒に後北条氏を挟み撃ちにしようとしたことでした。

ところがいざ蓋を開けてみると・・・年が明けてすぐ、ということは真冬ですね。上杉謙信は雪で越後から出られず、結局は後北条氏と里見氏の直接対決となりました。待てども待てども北から援軍の来ない里見氏はさぞ焦ったことでしょう。

結果は後北条氏の圧勝。里見氏は上総国を失い、房総半島先端の安房一国を維持するのがやっとの状態に。後北条氏を攻めるはずが、勢力を拡大させる結果になるなんて皮肉ですねw

1590年、後北条氏は豊臣秀吉により滅ぼされました。この時に廃城になりましたが、徳川家康は城跡に青戸御殿を建てました。これは鷹狩りの時に休憩するための施設だったようです。

しかし、1657年に明暦の大火により江戸城が焼失。江戸城再建のための資材として青戸御殿の建物は解体されました。

そして・・・1972年、環七建設のため発掘調査が行われました。その結果、戦国期の陶磁器、漆器、人骨などが出土したそうです。遺構保護のため埋め戻されると、立派な道路が造られ現在に至ります。

御殿山公園にあった「青砥藤綱」の碑ですが・・・調べてみると、どうやら架空の人物だったようです。彼は鎌倉時代後期、鎌倉幕府の執権・北条時頼の妄想から生み出されました。

彼は時頼が鶴岡八幡宮に参拝した日の夜、夢で神様のお告げの中で登場します。お告げに従い、時頼は藤綱を評定衆に大抜擢します。しかし、藤綱は「功なくして賞を受けるのは国賊と同じである」と断ったそうです。時の執権が大役を与えようとしているのに、凡人には中々言える台詞じゃありませんねw

彼のエピソードは他に、落とした10文を探させるため50文の松明を買ったことがあります。家人が「10文探すのに50文使うなんてもったいない」と言うと、「自分は50文損したけど、他人は合計60文得することになる」と笑って答えたとか。探させる筈の10文は、藤綱はとっくに諦めてたんですね。
太っ腹ですw

藤綱は各地に沢山所領を持っており豊かでしたが、暮らしぶりは質素だったそうです。そのため、現地を治める代官たちの綱紀も引き締まり、よく治まったんだとか。・・・というお話が、江戸時代にとても流行ったそうです^^


所在地:東京都葛飾区青戸7丁目(御殿山公園、葛西城址公園)

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