名島城/福岡市東区 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

福岡の城跡。2番目は名島城です。

名島城/名島神社
▲名島神社

名島城は福岡市の東側の海岸にある小山に築かれていました。その城跡には名島神社が創建されています。

・・・しかし、城跡の周囲にある駐車できそうなスペースは片っ端から有料。全~部名島神社のもので、1回500円也。都心か有名観光地並みですwレンタカーで周りをウロウロし、城キチが使う裏技で何とか駐車できました。

名島城/名島城址公園の入口
▲名島神社にある城址公園の入口

神社自体は大きくも小さくもない普通の神社です。その隅っこに、立派な門構えの城址公園の入口があります。城址公園は夜間立入禁止で、入れる時間は以下の通りです。

・ 4月~9月:AM9:00~PM19:00
・10月~3月:AM9:00~PM17:00

名島城/本丸跡
▲本丸跡

公園に入ると、すぐにだだっ広い場所に出ます。いきなりですが、本丸ですw

名島城/城址碑
▲城址碑

広場の陸側には立派な城址碑があります。これがあると、城跡へ来た!という実感に満ち溢れますヽ(´ー`)ノ

名島城/説明板全体
▲説明板

その城址碑のすぐ脇に、これまた立派な説明板があります。ここではやっぱり、超有名人の話が中心になりますね・・・

名島城/古城図
▲古城図

この説明板はなかなか豪華で、昔の絵図まで載っています。これ、かなりイイですね!

名島城/城址公園案内図
▲公園の案内図

その上で、現在の公園の図も載っています。公園のどこに何があるのかわかりやすくて助かります。・・・とは言ってもそんなに広い公園ではありませんがw

名島城/隅櫓跡
▲隅櫓跡

本丸の北西には隅櫓跡があります。場所がわかりやすいよう案内があります。ここからは海がとてもよく見渡せます。

名島城/隅櫓跡にある石垣
▲隅櫓跡の石垣

海に気を取られていると気付かないのですが・・・その裏側(海側)に少しだけ石垣がありました。陸側からだと死角にあり、帰りがけに見つけましたあせる

さらに場所がわかりにくかったのが大手石垣遺構。城址碑の脇に「←大手石垣遺構」と矢印はあったものの・・・その先の通路は門が閉じられて通れず。海側から回り込んで行くと、そのまま公園の出口に。

名島城/大手石垣遺構
▲大手石垣遺構

名島城/大手石垣遺構
▲大手石垣遺構

・・・あれ?石垣どこだろ?疑問に思いつつ本丸に戻ろうとすると・・・!通路の曲がり角に石垣っぽい石がちょっとだけ見えました。本丸に戻って説明板の案内図でさっきの曲がり角を見ると・・・そこに小さく「大手石垣遺構」と書かれていましたw

名島城跡としては、見晴らしの良い地形とわずかばかりの石垣が残されているだけです。周りは完全に住宅街として開発され、南側の海は埋め立てられました。

名島城/福岡城跡にある名島門
▲福岡城跡にある名島門

名島城の遺構としては、移築された門が別の場所に現存しています。その1つが福岡城跡にある名島門です。その名の通り、名島城にあった門を福岡城を築く際に移築したものです。


◆歴史◆

名島城は立花山城主・立花鑑載が出城として築いたのが始まりです。しかし、その築城年ははっきりしていません。

永禄年間(1558~70)に立花鑑光が謀反のため処刑されました。そのため、一族の中から鑑載が家督を継いで立花山城城主となりました。

その後・・・1565年には鑑載も謀反を起こしましたが、この時は許されました。しかし、1568年に再び謀反を起こし、立花山城落城後に自刃しました。・・・ということは、1558年から1568年の間に築かれたことになります。

この間の周囲の情勢は、高橋鑑種や秋月種実なども大友氏に対して謀反を起こしています。そのたびに毛利元就が援軍を送り、戦火が絶えませんでした。これらのことから、名島城は毛利の援軍を迎えるために築かれた?と想像します。

立花鑑載が自刃した後、立花山城は戸次鑑連が城主となりました。鑑連は「立花道雪」といった方がわかりやすいですね。道雪は立花の名跡は継ぎましたが、実際には立花姓を名乗らなかったそうです。

1586年、九州制覇をめざす島津氏が攻めて来ました。前年に立花道雪は陣中で没し、立花山城は養子の立花宗茂が守りました。この時の戦いで名島城がどうなったのかはわかりません。

大友宗麟の要請により、豊臣秀吉が島津氏討伐の兵を挙げました。少ない兵で城を守り抜いた宗茂は、戦後柳川13万石を与えられました。

代わって筑前の主となったのが、小早川隆景です。隆景は筑前に入ると、立花山城ではなく名島城を居城としました。その時に水軍の拠点となるよう、大規模な改修が加えられました。

1595年、隆景は隠居して三原城へ移り、養子の小早川秀秋が家督を継ぎました。秀秋はその2年後の慶長の役で朝鮮に渡って活躍しましたが・・・勝手な行動が多かったため帰国を命じられ、越前15万石へ移されました。

しかし、豊臣秀吉が没すると、間もなく筑前30万石に戻されました。朝鮮出兵で疲弊した民を保護する政策を実施したそうですが・・・

1600年、関ヶ原の戦いが起こりました。この時の秀秋の行動はとても有名ですね。戦後、備中55万石へ加増・移封されました。

1601年、黒田如水が筑前一国の主となりました。如水は当初、名島城に入りましたが・・・間もなく福岡城の築城にとりかかりました。築城の際には名島城がその資材として利用されました。

ちなみに「福岡」は、この時に如水の故郷から名づけられました。この時に博多商人達は猛反発したそうで・・・その名残がまだ残っていて、福岡の中心にある駅は「博多駅」です。


所在地:福岡市東区名島

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