丸山城/福岡県粕屋町 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

東京の城跡が続いているので、ちょっとひと息。福岡の丸山城跡です。丸山城は福岡ICのすぐ脇にあり、御霊神社から登ります。

丸山城/御霊神社

丸山城/御霊神社

丸山城/御霊神社社殿
▲御霊神社

鳥居をくぐって階段を上がると、すぐに社殿が見えます。山城の麓にあるということは、もともとは城主の居館だったのでしょうか?

丸山城/丸山遊歩道入口
▲丸山遊歩道の入口

登城路は「丸山遊歩道」で、社殿の右隅にあります。でも、案内の矢印が無いと見つけられないくらい目立ちません。もしかしたら、隠し通路だったのかもしれませんね。

道はよく整備されており、とても登りやすいです。丁度よい段差の階段、ウッドチップでも敷き詰めたような道。そして程よい傾斜です。

丸山城/主郭入口
▲主郭の入口

そして5、6分くらいで主郭の入口に到着。もうちょっと登るんじゃないかと思っていましたが・・・久々の山城に、足取りが軽くなっていたのでしょうかw

丸山城/説明板
▲説明板

東京とは違う感じの説明板です。ここに黒地に金文字のあれがあったら、それはそれでたまがりますが。・・・と、地味に方言を放ちますw

丸山城/横堀

丸山城/横堀
▲主郭の周りの横堀

説明板の足元を見ると、なんだか窪みが。その窪みが主郭を囲むように巡っています。これは空堀ですね!梅雨時なので草ぼーぼー。やっはり山城へは冬場に来るべきですねあせる

丸山城/主郭
▲主郭

階段を登って主郭へ。広さは直径20mほどの円形。そして井戸も無いので、物見台的なお城ですね。

丸山城/説明板
▲もう1枚の説明板

主郭入口の反対にも階段があり、下りてみるともう1枚説明板がありました。なんと、こちらには実測の測量図付きです!やはり、来たからには隅々までちゃんと見ないとソンしますね^^


◆歴史◆(かなり推測混じり)

丸山城は、杉権頭連並が築いたと「筑前国続風土記」にあります。連並は大内氏の家臣で、杉弾正忠重とともに高鳥居城に在城し、筑前守護代を務めていました。丸山城の築城年は不明ですが、連並が高鳥居城に来たのは1551年の陶晴賢の乱後です。

1555年に陶晴賢は安芸・厳島で毛利元就に討たれます。すると、それまで大内氏領だった周防、長門、豊前北部と筑前が空白地帯になり・・・その両隣の毛利氏と大友氏による領地争いが始まりました。

高鳥居城の杉氏の動向は不明ですが・・・周囲の状況から、大友氏に従ったとみられます。1560年代には筑前で大友氏家臣の謀反が相次ぎました。この謀反に毛利氏が援軍を出す、といったことが繰り返されます。

1569年、毛利氏が筑前へ攻め込み、立花山城が落城。しかし、背後で尼子氏再興の動きが活発となったため、毛利氏が撤退。以後、筑前は大友氏の支配が続きます。

1578年、耳川の戦いで大友宗麟が壊滅的敗北。各地で大友氏に対する謀反が活発化します。この時に秋月種実も大友氏に叛旗を翻し、北部九州に版図を広げました。

1585年、立花道雪が筑後へ出陣している隙を狙い、秋月種実が立花山城を攻撃。留守番をしていた立花統虎(後の宗茂)が種実の軍勢を撃退しました。

1586年、島津軍が北上し、岩屋城で高橋紹運が玉砕。立花山城も島津軍に包囲されましたが、豊臣秀吉の九州征伐が開始。この報により、島津軍は撤退しました。この時、島津軍の先鋒として岩屋城や立花山城を攻めたのが秋月軍です。

丸山城は「天正年間(1573~92年の間)に秋月氏により攻め落とされた」と伝わります。地理的に立花山城と岩屋城の中間にあるため、この時に攻め落とされたものと思います。


所在地:福岡県糟屋郡粕屋町大隈

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