なぽのブログ

お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。


テーマ:
天気予報は曇りのち雨。
でも、雨は夕方からっぽいので今週も行ってきました。
奥多摩シリーズ第2週めは檜原城からです。

檜原城/遠景
▲村役場前から

都内にもあるんです、村が!
お城のあった山は、その役場のすぐ目の前にあります。
フタコブラクダみたいな山ですが・・・・
お城は右のコブにありました。

檜原城/吉祥寺
▲吉祥寺

その山の麓には、居館跡と伝わる吉祥寺があります。
キチジョウジって・・・まぁお寺の名前ですからw
至る所に三つ鱗の家紋が目に付きます。

檜原城/登城口
▲登城口

登城口はお寺の裏手から。
親切にこのような札があります。
すぐに突き当たりますが・・・勘で右へ

檜原城/説明板
▲説明板

すると、登り始めてすぐの所に説明板がありました!
東京都は登城口と主郭跡に説明板を設置する方針のようですね。
足腰が弱い、でも城跡は回りたい!という方には喜ばれそうな配慮です^^

檜原城/説明板(拡大)
▲説明板

せっかくなのでupします^^

檜原城/図
▲図を拡大

図があったので、これから紹介する遺構を書き込みました。
で、この図にはとてもとても見覚えがあります。
たぶんというか、間違いなく引用していますねw

檜原城/竪堀
▲①竪堀

登城路を登っていると、どうしても目が行く地形・・・
自然に崩れたんじゃなさそうだけど、という竪堀です。
主郭付近から麓まで、縦一線に掘られています。

檜原城/堀切
▲④堀切

ジグザグの登城路を登ると、見事な堀切が見えます。
ここまで来ればもうすぐです!

檜原城/虎口
▲②虎口

堀切の見える所から北にぐるっと回り込むと・・・
袖郭らしき平場から見える登り口は屈曲しながら上の平場に向かっています。
虎口の跡ですね!
登城口からここまで20分弱で登れました。

檜原城/北の主郭
▲③北の主郭?

虎口を登ると、削平された広場に出ます。
ここが北の主郭?です。
登り口にあったのと同じ説明板がここにもあります。

檜原城では一番広い郭です。
ですが、長軸でせいぜい20m程。
籠城するにしてもそんなに大勢は籠れません。

しかも、土塁や空堀などが厳重という訳でもなく・・・
籠城してここで兵を防ぐには心もとないです。

麓を通る檜原街道は、かつては武蔵と甲斐を結ぶ主要な街道だったとか。
主郭からは街道の様子が手に取るように分かります。
そしてその先には滝山城がありました。

その滝山城まで約5kmおきにこんな感じのお城があることからすると・・・
防御拠点というよりは烽火台として機能したように思います。
地図でお城の配置を見ているとそんな感じがします。

檜原城/南の袖郭
▲④堀切から⑤南の主郭を見上げる

北の主郭から南側を見るとさっき横から見た堀切があります。
そこから更に南側を見ると、数段の郭が階段状に連なっているのがわかります。
その先が南の主郭です。

檜原城/南の主郭
▲⑤南の主郭

南の主郭には小さな祠がありました。
こちらは北の主郭の1/4位の広さです。
周りは切り立った斜面となっています。

檜原城/南の堀切
▲⑥堀切

何とか下りて行ける南の稜線には、堀切が2つありました。
ここは他に通路も無いので、堀切を下りて登ってで通ります。
かつてはもっと深く鋭かったでしょうね!

更に南を見ると、比高20mはありそうな南の峰があります。
山城ばかり登っていると、その頂上こそ最後の砦に見えてしまいます。

同じように思って登る方がいらっしゃるようで、人の歩いた跡がはっきり残っています。
道ナキ道ヲ進ミ、岩肌ムキ出シノ斜面ヲ登ツタノデスガ・・・

遺構らしきものは先ほどの堀切まででした。
危険を冒してまで登った南の峰には何もありません。
(下りた時はほぼ滑落ですwww)

あえて言えば・・・南の峰からは、採石で半分に削られた隣の山がよく見えますw


◆お城の歴史◆

檜原城は築城年および築城者は不明です。
武蔵と甲斐を結ぶ檜原街道のすぐ脇にあり、街道警備が目的とされています。

檜原城の城主としては平山氏が有名です。
記録に残る檜原の最初の平山氏は、1413年の平山三河入道です。
その3年後に起きた上杉禅秀の乱では、武州南一揆の一員として幕府に味方しています。

時代は下り戦国時代、平山氏は後北条氏に仕えていました。
檜原城は武田信玄に備える城として「境目大事の城」とされました。

1568年に武田信玄により三国同盟が破棄されると、北条氏照は檜原城の警備を強化しました。
地理的には当時甲斐から檜原街道を通ると最初にある城だったからです。

しかし、武田信玄はその裏をかき、本隊は碓井峠から、別働隊は小仏峠から侵攻しました。
そのため檜原城での戦はありませんでしたが、いきなり滝山城が主戦場となってしまいました。
檜原街道沿いにいくつも城を構えて備えた氏照は面目丸つぶれですねあせる

檜原城で戦があったのは1590年。
豊臣秀吉による小田原征伐の時でした。

八王子城が1日で陥落すると、その敗残兵が檜原城に籠って徹底抗戦しました。
しかし衆寡敵せず・・・
程なく落城し、平山氏重・新左衛門親子は、城下にある千足の「かくれ岩」で自害しました。

後北条氏の滅亡後は徳川家康が関東入りし、家康の領地となりました。
甲斐武田氏はすでに滅びており、敵対勢力は居ませんでした。
甲斐からの侵攻に備える城はここで不要となり、檜原城は廃城となりました。

・・・普通はここで終わるんですけどねw

時は下って1623年、徳川家光の時代に檜原に番所が設けられました。
設置理由は主要街道を往来する人の監視強化。

今では山梨に行くのに檜原街道を通る人はほぼいないでしょうが、当時は主要街道でした。
この番所は大政奉還まで置かれていたそうです。

檜原番所の復元門

その復元門が役場の前にあります。


所在地:東京都西多摩郡檜原村本宿

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