御岳城/東京都青梅市 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

久しぶりのお城日和な週末!じっとしている訳がありません。・・・ということで、今回は奥多摩の城跡を訪ねて回りました。その第1弾が御岳城跡です。

御岳城のある御岳山にはケーブルカーで登りました。山頂までクルマでも登れますが、許可されたクルマしか通れないので。なので、しぶしぶ駅の脇にある駐車場に停めることに。

しっかし・・・駐車場代高いT_Tバイクで500円も取られるなんて。普通「こっちこっち」と呼ばれてタダで停めさせてくれる所ばっかなのに。ちなみにクルマは1000円でした。

御岳城/ケーブルカー
▲ケーブルカー

ケーブルカーは往復で1090円です。こんな山奥ですが、バッチリPASMOでも改札を通れます。比高400mを片道6分で登り下りしてくれるなら、、、と自分に言い聞かせました。歩いたら何時間かかるんでしょうかね?

ちなみに、ケーブルカーから景色を見ていると、歩いて登ってる方も結構いました。結構いたついでに、ケーブルカーも満員でした。これだけ人が来るからこそあるんでしょうけどw

御岳城/案内図
▲駅前にある案内図

ケーブルカーを降り「神社どこ?」で見た案内図。もちろん堀切や土塁の位置など描かれていませんあせる少数派も少しはヒトとして扱って欲しいものです・・・・

御岳城/遠景
▲参道の途中から見た遠景

参道は舗装されてほぼフラット。これなら楽チン♪とすっかりハイキング気分です。都内ではすっかり葉桜ですが、標高900mの山上では咲き始めでした。途中チラっと見えた「城」の遠景。逃さずバッチリ撮りました。

御岳城/ビジターセンター
▲ビジターセンター

杉林に覆われていた参道の視界が開けると、ビジターセンターがあります。ここはかつては学校だったのだとか。これだけお土産屋さんあると子供もそれなりに居ますよねw

この裏手に土塁と竪堀があるらしいです。周りをウロウロしたのですが、裏に回り込む道が見つからず・・・センター自体が郭っぽかったので、無理やり納得して先へ進みました。

御岳城/神代の欅
▲お土産屋さん

それにしてもよくこんな山の上に!という位建物が建ってます。それはまるで立ち並ぶ櫓・・・に見えてしまうのは症状が重いからでしょうか。でも、登城路脇にこうして櫓を並べれば・・・とタイムスリップ気味に。この辺から上り坂になります。

御岳城/御岳神社の山門
▲鳥居と山門

坂の傾斜は次第にキツクなり始め、皆さんヒイヒイ言い始めます。その脇をスイスイと追い抜く私・・・・山城ばかり歩いている内に足腰が強くなってしまったようですw

御岳城/神社はまだまだ先
▲参道は更に続く

立派な山門を見て「着いた!」と喜んだのも束の間。山門をくぐると容赦ない坂道が参拝者達を待ち受けています。

しかしこの山門、食い違い虎口に見えてしまいました。神社の山門は普通、参道に対して真っ直ぐなので。わざわざ道を屈曲させている辺り・・・とついつい理屈をこねてしまいますw

御岳城/御岳神社
▲御岳神社

駅から20分でようやく神社到着!ここが本郭の跡でしょうか。高い山の上にあって、さらにひと際高くなっています。ここまで登ってきた兵に最後の試練w

この裏の尾根に堀切がある(らしい)のですが・・・裏に回り込む道が見つからず。諦めて山を下ることにしょぼん

御岳城/畠山重忠像
▲本殿脇に畠山重忠像

しかし!本殿から回れ右をするその途中!立派な武将の像が目に飛び込んできました。銘には「畠山重忠」の名が。何でここに?とは思いましたが・・・帰ってからパンフを見て納得しましたあせる

御岳城/御岳山駅からの眺め
▲御岳山からの眺め

さすが標高900mなので眺めが素晴らしい!・・・といえるのがケーブルカーの駅の脇にある展望広場くらい。あとは都心方向は木々で見ることができませんでした。

さて、帰りのケーブルカーを降りる際に、運転手のお兄さんに話しかけられました。「御岳城はわかりましたか?」と。歴史が好きな方のようで、麓にお城や古戦場が沢山あると教えてくれました。なぜ城跡を見に来たとわかったのでしょう。おでこに「城」とは書いていないのに・・・w


◆歴史◆

御岳城は御岳神社そのものであり、大昔から人々の信仰を集めました。736年に僧・行基が御嶽山蔵王大権現として勧進したのが始まりです。

御岳城/赤糸威大鎧
▲無料パンフより

平安時代末の1191年に、畠山重忠が赤糸威大鎧を寄進しています。「神の纏う鎧」として神社で大切に保管されており、国宝に指定されています。『新編武蔵国風土記稿』では、この時に重忠が城を築いたとされています。

また、1416年の起きた上杉禅秀の乱では、関東管領・上杉憲基が陣を敷いたそうです。参道を登っている時に見た「上杉平」の地名は、ここに由来するのかもしれません。

その後、奥多摩一帯を支配した三田氏や後北条氏、徳川家康の手厚い保護を受けてきました。明治時代の神仏分離と廃仏毀釈によって、御嶽神社と改称されました。


ここにお城があったという説は、近年まであまり見られなかったようです。標高が900mを越え、街道からも離れているため交通の要衝という訳でもありません。神社には必要ないお城としての遺構もありますが、全体的に防御力があるとは考えにくいです。

人々の信仰を集めて何かと注目されるので、自己防衛のため武装化したという説が有力です。平安時代末期(1190年頃)から南北朝時代(1350年頃)にそのような傾向があったそうです。

ですが、1979年に刊行された大著「日本城郭大系」にも記載されていません。もしかしたら、近年インターネットが普及したため、誰かがお城だと言い始めたのかもしれません。それを見て私みたいなのが次々と訪れ、遺構を見ては書きたてているのかも・・・w


所在地:東京都青梅市御岳山

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