寺尾城/神奈川県川崎市多摩区 | なぽのブログ

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お休みヒマだ~、どこ行こう?
・・・そうだ、お城!で始まった城跡巡り。
ふらっと訪ねた城跡を紹介します。

今日は晴れていますが、物凄い風が・・・
ということで、今日も思い出しブログです。

今回は川崎市多摩区にあった寺尾城跡。
訪問日は2013年2月10日です。
比較的新しめですw

寺尾城は寺尾台団地の台地先端部にありました。ルートは、小田急よみうりランド前駅の前に有る斜めに入る道を上がります。そして「寺尾台住宅入口」の信号で右斜めの道を進みます。その突き当たりが城跡です。

寺尾城(多摩)/遠景
▲寺尾城跡の遠景

「寺尾台」というだけあって、しっかり地形は台地です。しかも、これだけはっきり台地の地形が撮れるのも珍しいです^^台地の上に団地が1棟写っていますが、この右側にもいっぱい並んで建っています。

寺尾城(多摩)/城跡への入口
▲団地脇にある古道

城のあった台地は団地となり、遺構はほぼ潰されてしまっています。しかし、その一角に斜面を下る歩道が一筋あります。ここが城跡への入口となります。

寺尾城(多摩)/台地先端の平地
▲台地先端部にある削平地

その道へ入り、台地先端側に歩いて行くと、程なく広場に出ます。位置的には城の郭跡だと思いますが・・・団地造成であれだけ派手に壊していますからね。住民憩いの場として展望の利く場所を公園化しようとしたのかもしれません。土塁なども見当たらないので、何ともいえません。

寺尾城(多摩)/笹藪の向こうは崖
▲広場の端に崖

この広場は一応柵で囲ってありますが、そんなに高くありません。大人なら簡単に乗り越えられるほどです。柵の向こう側は笹薮になっていて足元が見えないのですが・・・この貼り紙の通り、断崖となっているようです。

寺尾城(多摩)/古道
▲古道?

さっきの広場からUターンして、今度は古道を下ります。ここには唯一?の遺構として大きな竪堀があるというので。

寺尾城(多摩)/古道を下から
▲古道を下から見上げました

わずかに残された遺構を見ようと、じっと目を凝らして歩きましたが分からずあせる古道をUターンして登ります。この道、昔からありそうな感じがします。山城に登る雰囲気がぷんぷんして、短い距離ではありましたがワクワクしました。

寺尾城(多摩)/竪堀
▲竪堀跡

そして見つけました!古道に沿って土塁っぽい土盛があり、その向こう側に。真冬だというのに、藪で埋まっていてかなりわかりづらいです。

寺尾城の跡には、城跡という表示は一切ありません。台地先端部が破壊されずに残ったのは奇跡的ですね。この一見ただの藪と化した窪みが、今後も破壊されずにいることを願います。


◆歴史◆

わかっている事は
「室町時代に寺尾若狭守により築かれた」
の1点だけですあせる

ですが、歴史大好きな私を燃えさせてくれました。それは、諏訪右馬助のお城が何箇所かあり、その全てが「寺尾城」であるということ。ほんとかよ???とついつい食いついて、休日の午前中を潰しましたw

色んなサイトを見ていると・・・

寺尾若狭守は諏訪氏の一族、とか
戦国時代は諏訪姓を名乗った、
と書かれています。
更に『小田原衆所領役帳』には「久良岐郡寺尾、諏訪三河守弐百貫文」と書いてあるなど。史料に「武蔵国寺尾の住人諏訪右馬助」としか書かれていないのが混乱の根源みたいです。

まず、「久良岐郡」がどこなのかを調べてみました。すると、横浜市のおおよそ南半分くらいであることがわかりました。つまり、地理的には鶴見にある寺尾城辺りが該当する訳です。

そして、川越市にあるとされている寺尾城ですが、今もってその位置すら不明です。下手をすると無かったかもしれないです。

河越夜戦の時に和議の交渉に当たったのが諏訪右馬助。史料には「武蔵国寺尾の住人」としか書かれていません。川越市に「寺尾」という地名があれば、関連付けたくもなりますね。

この「寺尾」という地名、けっこうクセ物です。同じ地名が各地にごろごろあるのでwしかも、地名の由来が「そこにお寺があった」という点まで同じです。

しかし、1点だけ気になる点があります。それは寺尾という姓。調べてみると、信濃国の諏訪神党にルーツがあるというのです。寺尾若狭守の出自が一切不明なので、もしかしたら、というのはあります。

あとは、近くにある小沢城の支城だったという説。
私は否定的です。

小沢城は東西に伸びる嶺を詰の城とした殿谷戸形式です。これは平安時代末期から鎌倉時代初期に流行った造りです。1455年1530年に北条氏康が初陣で扇谷上杉朝興を破ったことで有名なお城です。

ただ、小沢城は造りが後北条氏っぽくないのです。どちらかというと、舌状台地の先端に築いた寺尾城の方が、後北条氏っぽさで溢れています。

そこで新説!
初陣の大勝利でご機嫌な北条氏綱が、記念にお気に入りの無名の若武者に与えたお城・・・というのはどうでしょうか?

《追記》
川越辺りを否定的に書いたものの・・・伝承がある限り、否定することはできませんね。当時はあちこちに飛び地で所領を持っているのが当たり前の時代。所領ごとに館を建て、身内を置いて管理させていた可能性はありますネ。


所在地:川崎市多摩区寺尾台

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