2勤1休2勤で迎えた2連休。
今月は現場が土日休みなので、僕のシフトも土日休みになる。
ようやく連休をとれるシフトだ。
とはいえ5月中にはなかった現場での5連勤に、身体がどこまでついてきてくれるか。
筋肉痛はそのうち治るし慣れるだろうけれど、腰痛はひどくなるばかり。
3時起きで体調調整を行っているとはいえ、腹部が圧迫されれば突然下血するかもしれないという心配は尽きない。
と、いろいろ考えていても仕方ないので今日はシネマネコさん、14:25上映回を鑑賞しに行った。
いつもの人のいない日。ネコデーで1000円の日ではあるけれど、そんなにお客さんも来ていなくて、いつものB-5の席に無事に座れた。
『ブリング・ミンヨー・バック!』
海外の各地のフェス会場に集まる人々。
そのステージに立っているのは【民謡クルセイダーズ】。
彼らは日本の伝統的な“民謡”にラテン音楽をかけ合せている。
リーダーの田中克海は英語で観客に「民謡は死んだのか?」と問いかける。
「We try to bring back.A brand new Minyo」
喝采を浴びせる海外の観客たち。
彼らのステージは、国内でも絶大な人気で、各地で参加したフェスなどでも人々を熱狂させていた。
“民謡”は捨て去られようとしている音楽とも言える。
ピーター・バラカンをはじめとして、様々な人が“民謡”について語っていくが、一様にそれが現代の日本において音楽というものからも切り離されたものだと言う。
そんな民謡を蘇らせようとしている民謡クルセイダーズ。
彼らは東京福生市のバナナハウスを拠点として活動している。
福生は横田基地があることからアメリカ文化の根付いた場所。
しかし、70年代には大瀧詠一や細野晴臣が住み、新しい文化を生み出してきた場所でもある。
メインボーカルのフレディ塚本は、もともとはジャズシンガーを目指していたが全く目が出ず、音楽さえ嫌いになりかけた時期があるというが、そんな時に出逢ったのが“民謡”だった。
“民謡”は誰かが作ったものではなく、労働の中で人々と呼吸を合わせたり、収穫の際の盆踊りでみんなと楽しむためのもので、いつの間にかできていたものだ。
それはエンターテインメントではなく、あくまでも民衆の生活なのだ。
元ちとせは、奄美大島の民謡とその他の地域の民謡の差に驚かされると言う。
その土地その土地ごとに“リズム”が違うのだ。
奄美はどこからともなく常に三味線の音が聞こえてきて、会話も民謡にのせて行われるほどの土地ではあるが、どこか物哀しいという。
そんな元ちとせが奄美の民謡【豊年節】を民謡クルセイダーズと謡った際、三味線なしで謡う民謡に新鮮な刺激を受け、また、これによってラジオなどで多くその曲が流されたことに感動していた。
“民謡”が身近に広がっていく。
日本では戦後の50年代、美空ひばりや江利チエミなどが“民謡”をジャズ風にするなどして広げようとした時期もあり、東京キューバンボーイズなどがラテン音楽との融合を試みたこともあった。
しかしいつしか“民謡”はコンクール用のものになり、音楽業界からは切り捨てられていってしまった。
そんな民衆から離れてしまった“民謡”。
民謡クルセイダーズは、そこに踏み込んだ。
彼らが結成されたのは2011年。
東日本大震災で、様々な価値観が変わった年だ。
「好きな音楽を好きだからやっているだけではダメな気がして」
そしてたどり着いたのが“民謡”だったのだ。
東京キューバンボーイズとのセッションも成功させ、高崎での民謡コンクールでも高い評価を得ることができた。
そしていつしか彼らの活動は海を超えていく。
2019年。アルバムの発売に合わせ、コロンビアを皮切りに、ヨーロッパ7カ国、オーストラリアなどを回るワールドツアーが行われた。
コロンビアでは現地のバンドFrente cumbieroとセッションを行った。
彼らはフジロックで出会い、Frente cumbieroもコロンビアの伝統音楽を復活させようという考えがあったことから意気投合したのだ。
Frente cumbieroのクンビアに民謡クルセイダーズが加わり、よりパワフルになっていく楽曲に、メンバーたちは大満足だった。
大資本に頼らず、手作りで世界に広げていこうというスタンスも、Frente cumbieroと民謡クルセイダーズを結びつけた類似点だ。
小さなスタジオで楽曲を作り上げていく彼らの姿は、笑顔に溢れている。
ツアーでは民謡クルセイダーズは観客を熱狂させた。
コロンビアでも、ヨーロッパでも。
「世界に民謡を届けたぜ」
不思議な感覚だった。
全篇を通じて、涙が滲んでいたからだ。気づかないうちに、涙が溢れていた。
時折入るピーター・バラカンなどのコメントで、彼らがやっていることの稀有さが鮮明になっていく。
“民謡は死んだのか?”
一番身近にそれに触れる機会である盆踊りも、地域によってはなくなりつつある。
一方で阿波踊りなどは観光として成立し、その起源と言われるホーハイ節は、佐渡おけさにもなっている。
全ての起源と言われる虎女さまで、締めくくられるこの作品は“民謡”の謎に触れながらも決して断定的に答えを見つけようとはしない。
あくまでも【民謡クルセイダーズ】の活動を追うドキュメンタリーだ。
学生時代にクラシックを学んでいたボーカルの女性がバンドに参加した時、自分が思っていたことをもっと前からやっている人たちがいたということに感銘を受けたという。
とにかくいつの間にか彼らの音楽に身を委ねてしまうという作品で【民謡クルセイダーズ】の魅力が詰まった作品だった。
そうコメントするメンバーがいた。
この時、なんとなくこの作品でなぜ涙が溢れてくるのかを理解した気がした。
僕が青梅の祭囃子で泣いてしまうのはなぜなのか、その答えを聞けた気がしたくらいだ。
“民謡”のリズムは、ダンス音楽などと違い、身体の動きそのものであるという解釈も素晴らしいと感じた。
なによりフレディ塚本が、何度も口にする「民謡は感情じゃないんだ。風景を伝えてるんだよ」という言葉も印象的だった。
DNAに刷り込まれたリズムに身体が自然に反応し、そこに感じた風景に涙を流す。
そういえば小学生の頃だったと思うけれど、民謡にハマった時期もあった。
謡うのではなく、聴くほうではあるけれど、民謡集というカセットテープを繰り返し聴いていた。
確かに“民謡”はいま身近ではない。
それでもこうやって聴けば、いまのどんな曲よりも“新しい”と感じる。
よりによって待ち合わせ場所にヨドバシを指定してきたので、他店舗とはいえなんとなく落ち着かなかったので、時計館に行って新しくスマートウォッチを買ったりしてみんなを待った。
男6人で座るには狭い席だったけれど、久々に会う人もいたりして、話は尽きないし、狭さもそれほど気にならなくなった。
食べ放題なので、当然何度もおかわりする。
確かに若い頃、こんな食べ物があるのは知らなかったし、男がわざわざ食べに行こうとはなりにくいものだよなぁって思い至った。
サンダル履きだった僕は靴下を購入させられた(笑)
ダーツってまた若い子の間で意外と流行ってるのね(笑)
そんなこんなで解散したのは17時頃。
なんて健全なんだろう(笑)
当日まで何も決めないままで予定表に記入していなかったので、僕はその日だということ自体を忘れていたくらいだった(笑)
午前中にバタバタと待ち合わせ場所などを決めて、昼過ぎに新宿で待ち合わせ、僕は5年ぶりくらいになる【陳麻婆豆腐】へ。
麻婆豆腐発祥の店というのが売りの店だ。
その昔、彼女とたまに行っていた立川店がなくなっていたので今回は新宿サザンテラス店へ。
癖になる辛さで旨いこの麻婆豆腐は、またしばらくしたら食べたくなるんだろうな。
実は始めて入る新宿御苑だけれど、環境の日ということで無料開放されていた。
そのせいなのか多くの人がいたけれど、それでも広々の空間に癒される。
僕は空を飛ぶJALやANAの旅客機に興奮してしまい、友人に笑われた(笑)
青梅では旅客機を見ることがない。飛んでいる飛行機は軍用機ばかりだからだ。
そんな空を見上げながら芝生の上に寝転んでいたら夕暮れ時。
なんだか近頃よく寿司を食っているなぁと思うけれど、美味しいから良いか(笑)
その後、路上ライブをしていた立石歩という子の歌を2曲ほど聴いた。
実はこの日を一緒に過ごした友人も、路上ライブなどを行っているアーティストでもあるので、興味をひかれたんだろうな。
僕もこうゆうのを観るのは好きなほうなのだけれど、ただ、聴き終わってそのまま去ってしまえない(笑)
投げ銭を入れたらCDの販売額と同じだったので、その時に唄っていた曲の入ったCDを貰えた。ん?買ったのか??
その影響か、なんだか歌いたくもなったので、カラオケまで行ってしまうという、一日を通じて充実感に溢れてて、遊んだなぁって思える一日だった。
明日からの5連勤も、雨予報が多い。
楽しみな予定のないこれからの日々を、どう耐え忍んでいくか。