前回と打って変わって今回は古代ローマ帝国を取り上げようと思います。
ローマ帝国の最盛期は五賢帝時代なのは明白ですが、
それ以前の帝政の初期、ユリウス・クラウディウス朝も繁栄の前段階で
五賢帝時代の礎になるものを多々残しました。
塩野七生先生の言葉を借りると
「ユリウス・カエサルが描いた青写真をアウグストゥスが現実に近い形でそれを実行し
ティベリウスが盤石にした」と、そういうことになります。
歴史上から嫌われているネロ帝も善政とは行かなくとも決して悪い政治をやったわけでは
ありませんでした。
ただ、ネロ帝の時代にはそぐわない性格と名将であったコルブロを殺したこともあって
ネロは元老院より公敵宣言を受けて絶望し自殺をしました。
この自殺については、ネロ帝は皇帝に似合わない振る舞いなどで愛想を尽かされ
ネロ帝は自身は愛されている皇帝であったという考えが完全に否定されたことも関係がありま
す。(ちなみに、ネロ帝に最後まで付き添っていたのは身近な奴隷くらいでした)
しかし、国民の感情としてはネロ帝は自身の母を殺し、妻をも殺し内政を疎かにし
ギリシア文化にハマっているという皇帝らしからぬ行為
また、ローマ共和制初期にあったノブレス・オブリージュの精神が
帝政期には希薄になってしまったこともあって元老院はほぼお飾りの状態であり
ネロ帝に反乱したガルバを容認し無くてはならないという事情もあったようです。
ところで、後世にネロ帝が悪魔の数字で表せられるほどひどい評価を受けたのは
ローマの大火災の際、自分に向けられた火事の責任を当時のキリスト教徒のしわざにし
公開処刑をしたせいであり、中世になりキリスト教が支配的になった時代にこれが
引き合いに出されたようです。ちなみに、このネロが行ったキリスト教徒の弾圧は
逆効果であり、ローマ市民権者の感情を逆なでします。
ネロ帝は自分の中ではユリウス・クラウディウス朝の個性的なメンツの中では、
不遇であった皇帝との認識が有り、彼がもう少し熟した年齢で皇位を継いでいれば
ちょっとはユリウス・クラウディウス朝は長引いたんじゃないかな?とか思います。
ネロ帝の死後、内乱が始まりおよそ2年で4人の皇帝が入れ替わりウェスパシアヌスが
頭位するまで内乱は続きました。