卒業式の翌日、身の回りの荷物だけを持って琴子はふぐ吉に向かった。
工事が終わればすぐに戻ってくるので、たちまち必要のないものはダンボール箱にまとめておじさんの部屋に置いてある。
俺も一緒に送って行きたかったけれど、投稿していた論文の学術雑誌掲載が決まり、そのことで教授から呼ばれていた。
おじさんと琴子はオフクロが車で送って行く。俺は一人玄関先で見送った。
オフクロが咽(むせ)び泣き、琴子が涙を堪えていたあの時とは違ってみんな笑顔だ。サヨナラを言う必要もない。
琴子がここに戻って来るのは新婚旅行から帰ってからだ。
俺も早いとこ荷物まとめなきゃな...もうすぐ始まる琴子との新しい生活が待ち遠しかった。
「もしもし、俺。」
『入江くん、どうしたの?入江くんから電話してくれるなんて...』
「お前、明日予定ないよな?」
『うん。特にないけど?』
「明日7時前に迎えに行くから準備しとけ。温かい恰好しろよ。」
『何?どこに行くの?』
「秘密。」
『えー?なに?教えてよー。』
「だーめ。明日な。」
『...わかった。温かいカッコして早起きして待ってればいいんだね。』
「ああ。そうだ。じゃあ、早く寝ろよ。おやすみ。」
『おやすみなさい。』
タクシーの中から琴子に電話をした。ふぐ吉が見えて来た。丁度裏口から出てきた琴子を拾い、東京駅に向かう。
最初に行き先を告げていたので、琴子は何処に向かっているかわからないはずだ。
何処に行くのかを見極めるように窓の外を見ていた琴子が俺の方を見た。
「ヒントちょーだい。」
「ナイショ。」
「もぉ。ちょっとくらい教えてくれたっていいのに...ケチ。」
「はぁ?誰がケチだって?」
琴子の片頬を指で摘まんで引っ張る。
「入江くん、痛いよぉ...あっ、わかった。東京駅だ...でも、どこに行くの?」
「もうすぐわかるよ。」
タクシーを降りて改札口に向かう。琴子にチケットを渡す。
「入江くん、これって...」
琴子はチケットの行き先を見て確かめるように俺の目を覗いた。
「お前貰うんだから、お母さんにも挨拶しとかなきゃな。」
「入江くん...ありがとう。」
微笑んだ俺に琴子が震える声で言った。
「ほら、行くぞ。のんびりしてたら乗り遅れる。」
「うん。」
俺たちは22番ホームへ急いだ。
新幹線で秋田までは4時間。琴子はあまり憶えてないと言いながら、お母さんの思い出話をしてくれた。
さっきまでお母さんの話をしていたのに、俺の肩に頭を載せて琴子は静かな寝息を立て始めた。
まるでお母さんの温もりに包まれているみたいに幸せそうな寝顔を見ているうちに、いつの間にか俺も眠りに落ちていた。
秋田駅でお母さんに供える花とバスで食べる為の弁当を買った。
高速バスに乗って1時間、そこからタクシーで30分程でお母さんが眠る場所に着いた。
タクシーに待っていてもらうよう頼んだ。
霊園の入口で手袋を外して手を洗い、桶に水を汲んだ。
彼岸前に参る人もいないのか、昨夜降り積もった柔らかい雪はどこまでも真っ白だ。
きゅっ、きゅっと雪を踏みしめながら、琴子と並んで歩いた。しばらく歩くと琴子が立ち止まった。
薄っすらと雪を纏ったお母さんの墓に向かって頭を下げる。
「はじめまして。直樹です。ご挨拶が遅れてすみません。」
「お母さん、入江くんだよ。入江くんがお母さんに会いに来てくれたよ。」
琴子が嬉しそうに言いながら撫でるように雪を掃った。俺もそれに倣う。
「ちょっとだけ我慢してね。」
琴子がそう言って水を掛ける。俺はバッグから用意していたタオルで水をふき取った。
持って来た花を琴子が供える。琴子が新幹線の中で教えてくれたお母さんの好きな花だ。
俺はチケットと一緒に用意した墓参セットと書かれたプラスチックケースを取り出した。
ロウソクを立て火を灯す。琴子にも線香を渡した。線香に火をつけ供える。二人並んで手を合わせた。
琴子を必ず幸せにします。どうか見守っていてください。
お母さんに約束してから目を開けた。隣りの琴子は目を瞑り、まだまだお母さんと話は尽きないようだ。
俺はそのままじっとして、久し振りの母娘の会話に幸せそうな琴子を眺めた。
しばらく経ってから琴子が目を開けた。俺を見て満足そうに微笑んだ。
「行こうか。」
「うん。」
「今度はお父さんも一緒に来ますね。」
「お母さん、またね。」
琴子は愛しげに墓石に触れて、お母さんに別れを告げた。
琴子はお母さんの墓が見えなくなるまで何度も振り返っては手を振った。俺は最後にもう一度頭を下げた。
待たせていたタクシーに乗って駅まで戻った。今度は電車で秋田に向かう。秋田からは新幹線だ。
発車まで少し時間があった。化粧室に行くと言っていた琴子はいつの間にかお土産を買って来ていた。
「よかったのに。」
「そんなわけにいかないよ。明日これ持って遊びに行くね。」
てっきりオフクロに渡してくれと言われると思っていた俺に、琴子は悪戯っぽく笑って言った。
日帰りでゆっくり名物を食べる時間もなかった俺たちは、新幹線の中で比内地鶏の鶏めしを食べた。
パッケージに紐がついていて、それをひっぱってしばらく待つと熱々が食べられる仕組みになっていた。
8分の待ち時間は微妙な長さで、まだかな?まだかな?と何度も俺に訊いてくる琴子が可笑しくて可愛かった。
薄くスライスした鶏の照り焼きと比内地鶏のゴマそぼろが載った熱々の鶏めしは美味かった。
琴子がせっかく時間があるんだから結婚式の打ち合わせをしようと言い出した。
確かに俺は結婚式の主役は花嫁で、俺は当日流れを説明してもらえばいいくらいに思っていた。
俺は持って来ていた学術雑誌を閉じて、琴子の説明に耳を傾けた。
俺がこの時琴子が説明してくれたことを心から感謝するのは、もうしばらく後のことだった。
~To be continued~