もう9時か...ちょっと寝すぎたな。溜まった疲れが少し取れた気がする。
久しぶりの休み...沙穂子さんから誘われる前に、忙しくて行けていないオヤジの病院に行くことを匂わせた。
察しのいい彼女が誘ってくることはなかった。今日は、少しゆっくりできそうだ。
『お時間があるときに、直樹さんからも誘っていただけたら...』
彼女から言われるまでもなく、俺からも誘わなくてはいけないのはわかっている。
でも、仕事を言い訳にしてグズグズしているうちに、痺れを切らした彼女の方から誘ってくることになるのだろう。
直樹さん...彼女だけが、俺のことをそう呼ぶ。何度呼ばれても、自分のことだと認識するまでに一瞬の間がある。
そして、自分のことを『僕』という俺...まるで自分じゃない誰かを演じているみたいだ...
この拭いきれない違和感に...いつか、慣れる日が来るんだろうか。
「お兄ちゃん、おはよう。」
「おはよう。」
「朝ごはんトーストでいい?」
「琴子は?」
「デートなんじゃないの?」
「デート?アイツが...」
「海にドライブに行くんだってさ。デートの定番じゃん。」
「誰と?」
「さー。知んない。めかしこんじゃってたよ。」
「ヘェ。またもの好きがいたんだな。」
...ドライブ...琴子のことだ。どうせまた金之助だろう...
『俺...相原が好きだ。』
...まさか..真田なのか...別に誰だっていいじゃないか...琴子が誰と何処へ行こうが、俺には関係ない。
新聞をバサバサいわせて捲るお兄ちゃん...コーヒーカップを大きな音がするほど乱暴に置いて...
なにイライラしてるんだよ...もしかして、琴子がデートなのが気になるの...
「おはよっ。身体大丈夫か?」
「おはよう。うん。もう大丈夫。心配掛けてごめんね。ありがとう。」
「大丈夫ならよかった。じゃあ、行こうか。どうぞ。」
ドアを開けてくれる真田くん。何だかちょっとうれしい。
「真田くんの車なの?カッコいいね。」
「オヤジのなんだ。最近は、オレの方が乗ってるかも。」
「そうなんだ。免許いつ取ったの?」
「大学入る前。もしかして運転が心配?オレ飛ばさないし、安全運転だぜ。」
「そんなこと心配してないよ。真田くんは、安全運転ってカンジする。」
「あははは。何だ、それっ。」
海が見えて来ると、相原はしゃべらなくなった。黙って流れる景色を見ていた。目的地の灯台のある岬に着いた。
「キレイだね。」
「そうだな。」
展望台の手すりにつかまり、風に吹かれながら、緩く曲線を描く海岸線と空の青が溶け合う景色を見ていた。
「海岸に下りてみる?」
「うん。」
灯台下の海岸に下りた。どこまでも続く砂浜。砂に足をとられながら歩く。相原がよろける。思わず腕をつかむ。
「大丈夫か。」
「うん。大丈夫。真田くん、私の荷物貸して。持たせちゃってごめんね。」
「全然。」
「お弁当作ろうと思ったけど寝坊しちゃって。近所のパン屋さんでサンドイッチ買って来たの。カツサンドが美味しいの。」
相原が用意してくれたシートに座って、カツサンドを頬張る。
「美味いなぁ。腹減ってたんだ。レストランに入ろうと思ってたんだけど、こういうのもピクニックみたいでいいな。」
「そうだね。何だか楽しくなってくるよね。」
サンドイッチを食べ終わり、相原が入れてくれたコーヒーをゆっくり味わいながら、寄せては返す波を眺めていた。
「コーヒー美味いな。」
「ありがと...入江くんも...コーヒーだけは美味いって言ってくれてた。」
「そっか...ほんと美味いよ。」
「私ね...今日、全部海に沈めようと思って来たの。入江くんを好きな気持ちも、未練も、後悔も、全部...」
「...なぁ、相原。本当に沈められるのか。沈めたら忘れられるのか。」
「だって...もぉ、何も考えたくないの...もぉ、イヤなの。」
「相原が忘れられるんだったらいいんだ。でも、あんなにずっと好きだったのに...そう簡単に忘れられないだろ。
...オレさぁ。お伽話が本当になるって思ってたんだ。いつか相原と入江がくっつくの楽しみにしてた。
相原、入江のこと全力で好きだったろ。なんか応援したくなって...ずっとオマエらのこと見てたんだ。
そしたら、いつの間にか相原のこと好きになってた。入江のことを好きな相原を好きになったんだ。」
「えっ...」
「自分でも不思議なんだけどさ、相原のこと好きだって気付いても、応援したい気持ちは変わらなかったんだ。
オマエ、自分で自分の顔見れないだろ。すんげぇいい顔で入江に笑うんだよ。本当にトロケそうに笑うんだ。
だから、ずっと入江の側でそうやって笑ってほしかったんだ...」
「...真田くん...」
「本当に入江のこと忘れたいのか。ずっと見てきたからわかるんだ。忘れるのも辛くて、忘れられないのも苦しいんだろ。
忘れられない想い出も、忘れたくない想いも、忘れたくないなら忘れなきゃいいさ。
でも、それも辛いならオレが支えになるよ。弱ってる時にこんなこと言うのは反則だし、卑怯だってこともわかってる。
だから、相原はオレを利用すればいい。一人じゃ、もう立ってられないんだろ。オレを利用して寄りかかればいい。」
「真田くん...でも...」
「これ以上、黙って見てられないんだ。相原が壊れてしまうのを見過ごすなんてできない。」
...涙が溢れた...真田くんは私の気持ちをわかってくれてる...入江くんのこと、本当は忘れたくない...
一緒に過ごした3年間...数え切れない宝物みたいな想い出...入江くんを大好きだった6年という月日...
みんなが私を思って早く忘れろって言った。入江くんを早く忘れて、新しい恋をした方がいいと...
真田くんは、忘れなくっていいって言ってくれる...それでも支えるって...真田くんの気持ちがうれしかった。
真田くんは、家の前まで送ってくれた。
「ごちゃごちゃ考えずに、しんどい時は甘えたらいいんだ。相原が笑えたら、オレはそれでいいんだから。
相原さえよかったら、今度は何も考えずに遊べるとこ行こうな。遊園地とかいいかもな...じゃあ、おやすみ。」
「ありがとう。おやすみ。」
~To be continued~