自然分娩を
強く希望していた私は
赤ちゃんに優しい認定を
世界の共通機関からもらっている
日赤医療センターでの
出産を希望していました。
広尾にあるこの病院は
まじでキレイだし
産科医と助産師が手を取り合い
同等の立場で
自然分娩に力を入れている
都内では極めて少ない
素晴らしい病院です
私の担当医でもある
日赤医療センターの
母子周産期ユニットのセンター長
杉本医師は権威ある
産科医でありながら
近頃多い
『医者優先の産科介入型出産』
とは程遠い
『妊婦さんと赤ちゃん優先の産科』
を推進している方。
元々、子宮筋腫合併妊娠だったため
毎回筋腫とにらめっこしながらの
妊婦生活ではありました。
前にもブログに書きましたが
産道脇にある子宮筋腫が
邪魔して自分で出られなければ
帝王切開になるとゆうことは
頭の片隅にはありました。
が、まさかそこの壁に
リアルにぶち当たるとは
36週の時に杉本先生に
その可能性を示唆されたため
そこからは毎日…
ウォーキングやスクワット
色々やりました~
がーしかーしっ
39週と2日…
もう限界です
うまく頭と筋腫は
出口前で並んだものの
子宮口が開く気配なし
毎晩起こっていた
前駆陣痛とゆープレ陣痛
この状態で本陣痛が来てしまうと
赤ちゃんが苦しくなって
仮死状態になる可能性もあり
自然分娩に拘りすぎて
無事に賭けたとして
万が一緊急帝王切開に
なってしまった場合でも
手遅れ…とゆーことにもなりかねない
と、ゆーわけで…
母親になる私は悔しいが悲しいが
帝王切開することを決断しました
母に泣きながら連絡したら
『あー可哀想可哀想
そんな苦しいなら
早く出してあげなきゃー
あなた母親なんだから
しっかりしなさい』
って言われました
出て来たがってる赤ちゃんを
スムーズに出してあげるのが
私の役目
その方法が
時として自分の希望に
添わなかったとしても
赤ちゃんが元気なら
イイじゃん
そう自分に言い聞かせ
帝王切開することを決断したのでした
強く希望していた私は
赤ちゃんに優しい認定を
世界の共通機関からもらっている
日赤医療センターでの
出産を希望していました。
広尾にあるこの病院は
まじでキレイだし
産科医と助産師が手を取り合い
同等の立場で
自然分娩に力を入れている
都内では極めて少ない
素晴らしい病院です
私の担当医でもある
日赤医療センターの
母子周産期ユニットのセンター長
杉本医師は権威ある
産科医でありながら
近頃多い
『医者優先の産科介入型出産』
とは程遠い
『妊婦さんと赤ちゃん優先の産科』
を推進している方。
元々、子宮筋腫合併妊娠だったため
毎回筋腫とにらめっこしながらの
妊婦生活ではありました。
前にもブログに書きましたが
産道脇にある子宮筋腫が
邪魔して自分で出られなければ
帝王切開になるとゆうことは
頭の片隅にはありました。
が、まさかそこの壁に
リアルにぶち当たるとは
36週の時に杉本先生に
その可能性を示唆されたため
そこからは毎日…
ウォーキングやスクワット
色々やりました~
がーしかーしっ
39週と2日…
もう限界です
うまく頭と筋腫は
出口前で並んだものの
子宮口が開く気配なし
毎晩起こっていた
前駆陣痛とゆープレ陣痛
この状態で本陣痛が来てしまうと
赤ちゃんが苦しくなって
仮死状態になる可能性もあり
自然分娩に拘りすぎて
無事に賭けたとして
万が一緊急帝王切開に
なってしまった場合でも
手遅れ…とゆーことにもなりかねない
と、ゆーわけで…
母親になる私は悔しいが悲しいが
帝王切開することを決断しました
母に泣きながら連絡したら
『あー可哀想可哀想
そんな苦しいなら
早く出してあげなきゃー
あなた母親なんだから
しっかりしなさい』
って言われました
出て来たがってる赤ちゃんを
スムーズに出してあげるのが
私の役目
その方法が
時として自分の希望に
添わなかったとしても
赤ちゃんが元気なら
イイじゃん
そう自分に言い聞かせ
帝王切開することを決断したのでした