いつも、励ましてもらいたかった私だが、最近は、人を励ませるようになった。昔は、メールなどで悩み事をたくさん書いていた私だが、最近は、誰かを励まそうと、長文を書くこともある。





先生としてでも、母としてでもない、「私」が励ますことができる。きっかけは、自分の道を歩き始めたからかもしれない。いくつになっても、人生は、やり直せるのだ。





だいぶ前にもらった、あるメールに、久しぶりに目を通してみた。すると、驚くくらい、受け止め方が違う自分自身に気づいた。





もらった時は、突き放されたような、厳しい言葉のようなメールで、苦しかったのを覚えている。それなのに、今はそのメールの内容がよく理解できる。さらに、厳しい空気さえ漂ってこない。




同じメールを読んで、こんなにも、過去の自分と今の自分の受け止め方が違うことに愕然とする。なぜ、あの時分からなかったのだろう…とさえ、思う。




物事は、感じていることが、真実ではないかもしれない。自分の波動で、見え方が違うからだ。捉え方が違うと言えばいいだろうか。





明日は、懐かしい人に会うことにした。直接ではないが、会えるわけがないと思っていた、ハワイに住んでいる方と、少し話ができる。波動が見えるその人に、今の私はどう見えるだろう?




コロナ禍でハワイには行けないが、ハワイの風を感じられるかと思うと、少しワクワクする。




励ませるようになった私は、私自身をやっと分かり始め、受け入れ始めている気がする。