香川の皆さま、港町と共に生きた建物が…
こんにちは。
メンタルコーチ/〔あなたブランド〕サポーターの
ナオコマルです。
今日は 地元香川の皆さまへシェア~ というテーマとなります。
(コーチングとはまったく関係ないお話になります)
もうしばらくで消えゆこうとしている
「街の記憶をとどめる建物」 に今日は触れてきました。
さて この建物…
地元の皆さん わかりますか?
この写真だとわかるかな? (写真中央の道路沿いの建物です)
玉藻公園のすぐ北にある旧高松港管理事務所です。
往時は高松港のシンボルだったこの建物
港町の発展を見守ってきたこの建物
ついに解体されることになったんだね。。。
いま84歳なんだそうです。
12月下旬から取り壊し工事が始まるそうですが
惜別の意を込めての座談会&見学会があるというので
今日参加してきました。
昭和2年から平成13年までの75年間
港湾管理事務所として使われ
県営桟橋として各航路が発着し、市民や旅行客・ビジネス客で
にぎわったこの建物。。。
座談会では、
ここが人生の舞台だったというパネラーの方々からも
参加者の側からも
昔を懐かしむお話が聴けました。
ここで家族みんなで土産物店を営んでいた
ここが遊び場でかくれんぼをしていた
戦後はGHQが駐留?
船に乗って遊んでいるうちに大阪行の船が出航してしまった
紫雲丸の海難事故の悲しい記憶
港湾施設の設計士の父親の休日出勤に連れられて
事務所内でいつも遊んでいた
関西方面からの修学旅行が絶えなかった頃のこと
この建物は いろんな人生のひとコマひとコマを
見守ってきたんだね。
瀬戸大橋が開通するまで、
高松駅周辺のこのエリアは 「四国の玄関」 でしたね。
宇高連絡船という本州とのパイプ航路
阪神への航路も賑わっていた
そういえば別府航路もあったなぁ…
女木への海水浴もみんなここから行った
小豆島へもここから行った
(昭和62年の高松駅と高松港 懐かしいですね~)
瀬戸大橋の時代になり連絡船が廃止され
サンポート高松の再開発
旧高松駅も場所を変えて生まれ変わり
新しい港湾ターミナルビルが建ち…
「昭和初期から海を見守り続けてきたこの建物も
今はひとりぼっちになった」
と、誰かが言っていました。
本当にそうだね。
昔の高松港の名残もこれで無くなってしまうな…
長い間ありがとう です。
・・・
座談会の後、建物内を特別に見学させてくれました。
昨年の瀬戸内国際芸術祭でこの建物自体が作品となり
そのときに内部をすべてホワイトにしているのですが
往時は待合室や切符売場として生きていたわけで、
今の状態と往時を比べて見ると面白いです。
例えばこの一角は
こんな店だったそう。
ここは
待ち合いスペースですね。
さてここは
切符売場ですね。
ここからは
玉藻公園の石垣が見えていたんですね。
最後に
本日の瀬戸内海ショットです。
かなたに横たわるは鬼ヶ島(女木島)です
【好評!】「羅針盤セッション」 実施中
メンタルコーチ/〔あなたブランド〕サポーターの
ナオコマルです。
今日は 地元香川の皆さまへシェア~ というテーマとなります。
(コーチングとはまったく関係ないお話になります)
もうしばらくで消えゆこうとしている
「街の記憶をとどめる建物」 に今日は触れてきました。
さて この建物…
地元の皆さん わかりますか?
この写真だとわかるかな? (写真中央の道路沿いの建物です)
玉藻公園のすぐ北にある旧高松港管理事務所です。
往時は高松港のシンボルだったこの建物
港町の発展を見守ってきたこの建物
ついに解体されることになったんだね。。。
いま84歳なんだそうです。
12月下旬から取り壊し工事が始まるそうですが
惜別の意を込めての座談会&見学会があるというので
今日参加してきました。
昭和2年から平成13年までの75年間
港湾管理事務所として使われ
県営桟橋として各航路が発着し、市民や旅行客・ビジネス客で
にぎわったこの建物。。。
座談会では、
ここが人生の舞台だったというパネラーの方々からも
参加者の側からも
昔を懐かしむお話が聴けました。
ここで家族みんなで土産物店を営んでいた
ここが遊び場でかくれんぼをしていた
戦後はGHQが駐留?
船に乗って遊んでいるうちに大阪行の船が出航してしまった
紫雲丸の海難事故の悲しい記憶
港湾施設の設計士の父親の休日出勤に連れられて
事務所内でいつも遊んでいた
関西方面からの修学旅行が絶えなかった頃のこと
この建物は いろんな人生のひとコマひとコマを
見守ってきたんだね。
瀬戸大橋が開通するまで、
高松駅周辺のこのエリアは 「四国の玄関」 でしたね。
宇高連絡船という本州とのパイプ航路
阪神への航路も賑わっていた
そういえば別府航路もあったなぁ…
女木への海水浴もみんなここから行った
小豆島へもここから行った
(昭和62年の高松駅と高松港 懐かしいですね~)
瀬戸大橋の時代になり連絡船が廃止され
サンポート高松の再開発
旧高松駅も場所を変えて生まれ変わり
新しい港湾ターミナルビルが建ち…
「昭和初期から海を見守り続けてきたこの建物も
今はひとりぼっちになった」
と、誰かが言っていました。
本当にそうだね。
昔の高松港の名残もこれで無くなってしまうな…
長い間ありがとう です。
・・・
座談会の後、建物内を特別に見学させてくれました。
昨年の瀬戸内国際芸術祭でこの建物自体が作品となり
そのときに内部をすべてホワイトにしているのですが
往時は待合室や切符売場として生きていたわけで、
今の状態と往時を比べて見ると面白いです。
例えばこの一角は
こんな店だったそう。
ここは
待ち合いスペースですね。
さてここは
切符売場ですね。
ここからは
玉藻公園の石垣が見えていたんですね。
最後に
本日の瀬戸内海ショットです。
かなたに横たわるは鬼ヶ島(女木島)です
【好評!】「羅針盤セッション」 実施中