『美しい人』『Conversation(s)』
夜っぴいて見なおした映画。
『美しい人』(原題『9 lives』)
これは、ロドリゴ・ガルシア監督の9つの物語からなる映画。
9人の女性の、それぞれの物語。
ワンシーンワンカット。
撮影はリハーサルに9日間、本番に9日間という。
さまざまな年齢の女性の、人生の分岐点を映す。
囚われぬけられない関係の中での決断、葛藤。
それをカメラ回しっぱなしの10分弱でみせる。
通ってきた道、これから通るであろう道、が9つ。
2年前映画館でみた時は、よそ事な話ばかりだったのに、
今みると、そうでもない。
短編小説のような、映画。
あのガルシア・マルケスを父に持つこの監督。
「彼女を見ればわかること」、「彼女の恋からわかること」に続くこの作品。
大いに考えさせられる、文学作品か、と。
『Conversation(s)』
これは、お願いだからツタヤにおかず、映画館での連続上映希望。
CineSwitchに金曜毎に通った事を思い出す。4,5回みたかしら。
出演はヘレナ・ボナム・カーターとアーロン・エーカット。
音楽はカーラ・ブルーニ。
これは、デュアル・フレーム・ムービー。
つまり、画面が二分割されている。
10年ぶりに再会した男と女の話。
それだけなのに、このお洒落さ。
人間のダサさ、重苦しさと軽さ、会話の無意味さとはかなさ、
会話の裏にこめられた思いの重さ。
そう、思いは、想いは、重い。
沈黙もまた重く、想いのひとつ。
本来映画では、会話をしている二人を見る場合、アップの場合、
監督の独断によって編集され、どちらかの顔しか映らない。
多くは、話しているほう。
それが、この映画では同時にふたりをみることができる。
そもそもラブ・ストーリーは、二人のふたつの感情の旅を描くもの。
ふたりが同時に、同じ画面で、同じ会話の中で、違った感情を経験する。
二分割された画面で、相互の動きをリアルタイムに見ることによって、
観客は現場に居合わせた目撃者のごとくなる。巻き込まれる。
そして自然と、感情移入しやすい方、画面の右側か左側に寄っていくんだなぁ。
とても、演劇的。
時たまフラッシュバックが入ったりする。
彼が彼女との会話から想像すること。
彼女が彼との会話から想像すること。
10年分の距離が、時間が、愛が、一方にとっては、
ときにに笑ってしまうほど過剰な想像になる。
普段はみれない、相手の頭の中。
観客はやはり目撃する。
彼と彼女の、現在、過去、未来。
ふたりのふたつ、
視線、気持ち、仕草、息、温度・・・。
たくさんのふたりのふたつの瞬間を目撃する瞬間。
時たま画面がひとつになる瞬間もある。
それは、10年という歳月の無意識の愛情、意識的接近。
デュアルフレームという人工的だけれど、とても自然な手法が、
決してもとの関係には戻れない男と女の距離を絶妙にあらわすんだなぁ。
とても計略的で哲学的。
こんな手法だからか、脚本のせいなのか、
岸田戯曲風なものを感じてしまう。
沈黙やちょっとした仕草に。
口数すくなにふたりが微笑み、
その微笑に全てが物語られるような
あの岸田戯曲。
あの微笑を崇拝する私のツボにピンポイントな西洋映画でした。
この映画。
美しい人しかり、Conversationsしかり、
さりげない日常の中の「時」を、長まわしのワンカットでとる。
とても演劇的ゆえ、すきなのです。
リアルな時間と演劇的時間が同時におこるのが好きなのです。
時間といえば、『めぐりあう時間たち』(原題『The Hours』)も同じく。
原作脚本、買ってこよう。