医療関係者に「感謝」とか書き込むと叩かれる | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

感謝でも謝罪でも伝え方はあると思う。好きだでもいい。言葉にすれば嘘っぽいということはある。行動に移せば批判の対象となることはあるだろう。世知辛い世の中と思うかもしれないが、現実にはそういうものなのかもしれない。

自然に感謝の気持ちが生じて、それが突き詰めて思わず口から出てしまった感謝と、「感謝、感謝」を連呼するのでは意味が違う。

毎日言い続けると少しは違ってくると思う。ある日、かみさんに向かって「好きだ」と言う。ばかね、あんた、何か悪いモノでも食べたの、と笑われるのはオチだが、これが毎日続いたらどうだろう。死が二人を分かつ頃まで続ければ、それはやっと通じるというものではないか。きっと感謝も同じだと思う。

確かにコロナ禍にある医療者には何かしらの感謝を伝えたい。誰しも感じることがだ。普段、医療者にお世話になっている人は、接するその時に伝えればいい。ありがとうでなくとも、「忙しくて大変なのかな」でもいい。ジョーク交じりにでっかい「感謝状」でもいいのかも。でもSNSはダメかなあ。今、医療者のお世話になっていない、かかわりが無いという人は今でなくとも良い。自分が病気になってお世話になって、その時に感動の気持ちがあれば伝えればいいのではないか。

SNSで伝えるのは言葉が軽いし、それは自分のためという一面が垣間見えてしまう。薄っぺらさが丸見えになる。ほかに手段が無くてどうしてもという人には悪いのだが、安易な使いかたをすると炎上してしまう…。

コロナ禍が過ぎ去って、お互いが笑いあえる時でもそれでも感謝の気持ちが本物なら、伝えればいいと思う。今は感染のリスクを減らし、ただ医療者の負担にならないようにすることが一番なのかもしれない。

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