何もしない。でも、それも何かをしていること | 現在と未来の狭間

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文芸と自転車、それに映画や家族のこと、ときどき人工透析のことを書きます。

昨日は午後からかみさんと愛宕神社へ出かけた。1月も中旬になるしもう混み合うこともないかと思ったが、これが大きな間違いで参拝客で長蛇の列ができていた。ここは雰囲気が良いので時々行くのだけれど、まだ混み合う時期なのだなあ。

結局参拝するのに2時間近くかかってしまった。それで連休最後はちょっと疲れも残ってしまったので、何もしない日に決めた。とか言いながら包丁は研いだ。1本使い慣れたペティナイフが切れなくなっていたので気になっていたのだ。

その後は居間でのんびりと本を読んでいた。午後になると日差しが入ってくるので、カーテンを全開にして温かい日光を浴びながらゴロゴロと過ごす。

太陽の光だけは万人に平等に与えられた神様のプレゼントだなあと思う。

外は風があって寒いのだろうけど、家で日差しを浴びていると体全体にぬくもりを感じて気持ちが良い。

コーヒーを一杯だけいれた。少し砂糖を多めにして口に含む。舌に甘みが広がって、ちょっとだけ幸せな気持ちがする。食べたり飲んだりすることは、基本的な人間の幸福感じゃないかって思う。だから私は食べること飲むことに五月蝿く言うスタッフに疑問を感じることがある。この人、自分が同じ立場になったらまじめに制限を守るのかって。

健康な人が嬉しそうにものを食べている姿って、見ているだけで幸福感を覚えることがある。でもこれが病人になるとまるで罪人のように扱われるのはどうかと思う。本来食べられないことの方が不自然だ。透析クリニックでスタッフに怒られる人がいるだけで、周囲も不機嫌になるってそれも不自然なことだよねえ。基本的には自分自身には関係ないことなのに。アイドルグループの女の子が、お騒がせしてしまってごめんなさい、って謝ることに似ている。

何もしないこともちょっとだけ贅沢なこと。でも、こうしてぼんやりして日差しの温もりを感じていればストレスは感じないし、癒しにもなる。

透析の時間もこんな風に過ごせたらベストだなあ。

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