おニャン子クラブに関して思い出したことがある。
ただこれはテレビを見ていてもなかなか分からないだろう。
おニャン子クラブというのはそもそも学生が多く、多分、楽屋なんかで勉強をしたりしてる人もいたのだろう。
私に勉強を習おうと思いを巡らせていた人がいた。
というのも、変に頭がいいのではないかと勘違いされている風だったからだ。
まずその最初は、多分手紙の中に「遅配」という漢字を使ったとき以降だろう。
遅配とは簡単に言えば手紙が送れることだと思うのだが、おニャン子たちにはその意味が分からなかったようで、そこから転じて勉強を教えてもらおうという風に発展したようだ。
まあ芸能人はそんなに賢くないだろうから、何とかなるだろうとは思っていたが。
テレビ局なんか、東大出なんか腐るほどいるだろうにと思ったが、局のディレクターやADではやる気が起きないのかもしれない。
そう、出てこいアピールが頻繁になりだしたのは、その頃、3月くらいからだ。
おニャン子、とんねるずなど番組自体がそう呼び掛けてる雰囲気。
元々「たけしの元気が出るテレビ」にしても、とんねるずがラジオで「お前ら、はがきを送れ、放送作家にしてやるぞ」みたいなことを叫び始めたのも、12月とか、1、2月ごろだ。
それがフジテレビに企画を出したときに、「最近面白い企画がちょこちょこ来てる」と石橋がラジオで言う。
なんか偶然にしてはタイミングが同じすぎないか。そんなことを思いながら、夕焼けにゃんにゃん」を見ていると、私が手紙を出さないと、「俺仕事したくないな」とか口にする。
出すと、なんか浮かれてる。
絶対怪しいと思い出す。
しかし分からない。
そこで写真を送れば女子に反応が出るだろうと思い、写真を出す。
と、反応が一気に出た。
女子は喜び、男子は怒るという実に分かりやすい反応が。
そしてそれが他の局にも及んでいることも一目瞭然となった。
じゃあ、石橋が面白い企画が来ていると言ってた頃の企画の中でなんとなく覚えているのを一つ。
当時ゆーとぴあというコメディアンがゴムパッチンで痛がるみたいなギャグがあった。
それで、お互いがゴムをくわえ、距離を開け、クイズ問題を出す。
答えが分かったほうが、答えるためには、口を開けることになり、相手はゴムが当たって痛い思いをする。
しかし答えがわからなくても恐怖心から、ゴムを口からはなし、相手にゴムが当たったりするだろう。
それが面白い断末魔を生むだろうというクイズ企画。
そういったこともあり、放送作家にしてくれるのだろうかと、連絡を待っているが、テレビでは「出てこい」アピールだけ。
そのうち私をテレビに出したいのではという感じになってきていた。
最初は別にタレントになりたいわけじゃないんだよな。
写真を送ったからか…と思ったが、それならそれで仕方ないかと思うように変わっていく。
というのもその頃になると、フジテレビだけじゃなく、他の局でも私のことで盛り上がっていたからだ。
それでも連絡を待ちながら、本当に出て行って大丈夫だろうかという不安があったが、1か月近くそんな感じだったので、さすがに大丈夫だろうと思うようになっていく。
もうすでにフジだけで盛り上がっていたわけではないからだ。
出てこいアピールの一番わかりやすいのが、石橋が出てこいアピールの後に、「しー」と指で、「秘密、秘密」みたいなことをやっていたことだ。
よく、「どうして出てきたんだろう」と、あの頃からさんざん聞かされ、まあ、今年になっても同じようなことを言っていたのだが、何度も言うが、お前らが出てこいと言うから出てきただけだ。
かれこれ500回くらい同じことを言われているし、多くがフジテレビの言ってることが真実として広まっている。
どうも一般的にはこちらが勝手にフジテレビにやってきて、タレントにしてくれみたいなことを言った風に触れ回っているが、まず一番の間違いが、タレントになりたいと思ったことはないということ。
タレントになりたいなら、タレント事務所を尋ねるし、放送作家になりたければ、そういう事務所を尋ねるのが普通だ。
どこの世界にテレビ局に直で行くやつがいるのか、聞いてみたいものだ。
フジテレビを訪れたとき、私は、ずっと自分の名前しか告げていない。
「何々さんが玄関まで来ています」と受付のお姉さんはいつも取り次いでいた。
電話を替わるといつも普通に追い返すだけ。
すると、その日、「夕焼けにゃんにゃん」では石橋が怒り、何やってるんだよと言う。
そんな繰り返しがずっと続く、すると、他のテレビ局もフジテレビ、何やってるんだという感じになっていった。
そう、フジテレビに私が訪ねてきていることは、あちらこちらで話題になっていた。
ほんと、一体何やってんだ。 出てこいと言ったのはお前たちのほうだろう。
名前を言えばわかるように指示しとけよとだんだん思い始める。
そしてやっ石田弘プロデューサーが出てくる。
私はどこにいるみたいな質問を受け付けでしたあと、いきなり、「フジテレビはタレントを育てるところじゃない」と言う。
えっ?何言ってんだ。
「別にタレントになりたいんじゃなくて、放送作家に」と思わず言ったら、「えっ?」と言う顔をしている。
「とにかくフジテレビはそういう機関じゃないから」と言う。
そして、「ということで」と立ち上がり、受付のお姉さんに、「誰かわからないやつと電話をつなげるんじゃないよ」と言って、去っていく。
しばらく受付の椅子に座ったまま、考えている。
どういうことだ。出てこいと言ったのはそっちじゃないか。
考えてみると私は放送作家になりたかったわけでもない。
そもそもマスコミ嫌いで、できればマスコミみたいなのとはかかわらず、作家になっても顔出しもせず、道を歩いてても誰にも気が付かれない作家か、漫画家になりたいと思っていたはずだ。
それがどうしてテレビなんか…。
そう思いながら受付のお姉さんが怒られたのが申し訳なくて、頭を下げると、なぜが悲しい顔をしている。
毎日のようにフジテレビにやってきて、追い返されてたのを知ってるからだろうか。
その日、家でテレビを見てると、「夕焼けにゃんにゃん」がとびっきり暗い。
石橋が「帰ったらどうするんだよ」と叫んでる。
それだけじゃない。
他の局に出ているタレントたちも文句を言っている。
これはとにかく、どうにかしないと。
そうだ、放送作家なら、秋元康の事務所を探せということか?
きっとそうに違いない。
じゃないと話がつながらないではないか?
そこで秋元の事務所を探すことを連絡する。
すると荒れ気味だったテレビ番組が修復に向かい始める。
今にして思うと、あのままほったらかしのほうが誰かが騒ぎ始めたかもしれないのにと思うのだが。
その日だったと思うが、石橋が港浩一たちに飲みに連れて行かされて、今度のことを説得されたと文句を言っていた。
石橋もフジテレビが追い返したことに憤りを感じていたのは間違いない。
そもそもフジの言い分は私が一般人だから、テレビに出すわけにはいかないということらしい。
じゃあ当時テレビに出ている一般人はいなかったのか。
そんなことはない。
おニャン子クラブ自体がほとんど一般人。
石橋がおニャン子について、一般人という設定になっているが、大半は事務所に所属しているとか話し出したのはこの頃だろうか?
この辺は記憶が曖昧だが、まあ、おニャン子の半分ぐらいは芸能事務所所属で、他は一般人という状態だったらしい。
これは多分石橋から教えてもらったことだ。
多分この時石橋も同じことを感じていたのだろう。
もしかするとそのことを問いただし、実は誰誰はどこの事務所とか、いろいろ話を聞いたのではないだろうか。
だとしても、一般人も交じってる。
タレントとプロデューサーの力関係がまかり通ったのかもしれない。
この頃から、「なんで出てきたんだろう」という言葉をよく耳にするようになる。
さて、石田プロデューサーだが、私はフジを訪れる中で、受付で名前しか口にしていない。
どういう用件で来たかということは一度も告げていないのだ。
なぜなら、私はフジテレビに呼ばれたから出てきただけで、それ以外の何物でもないからだ。
ところが石田は現れてすぐ、フジテレビはタレントを育てるところじゃないみたいなことを言ったのだ。
名前しか言ってないのになぜそう言ったのか?
そもそも私はタレントにしてもらいにフジテレビを訪ねたのか?
知らなかった?初耳だ。