先週末に、岩手県大槌町に行ってきました。
ボクが初めて震災後の東北を訪れたのは、去年の12月。
そのきっかけを作ってくれたのは、THE STREET BEATSのOKIさん。
震災後の去年の5月以来、毎月大槌を訪れて、本当の家族以上の思いを持って、
“岩手県大槌町を本気で復興させる会 大槌STANDING STANDING”
のメンバーを様々なカタチで支援し続けているOKIさん。
12月以来、ボクも大槌のみんなとの繋がりが生まれ、
ボクが東北で見てきたこと、感じたことを、そして被災地の現実を東京でみんなに話させてもらった。
今回は大槌町の子供たちの春休みお楽しみ会を開催する、ということで、
ボクの地元の仲間も連れて、今回もOKIさんと一緒に同行させてもらってきました。
・・と、その前に、震災から一年経った大槌町の様子を見てもらいたい。
前回のボクの1月の試合にも応援に来てくれた、“大槌STANDING STANDING ”のツトムさんが、朝早くに到着したボクらを迎えに来てくれて、
大槌町の現状をボクらに見せてくれるために、車で回ってくれた。
漁業の町、大槌の港にはいくつかの水産加工工場が建て直されていたけど、まだ景色は戻っていない・・。
崩れたブロック塀のように見えるのは、数メートルの高さの防波堤。
それを軽々と飛び越えて町を襲った津波・・。
今年は異常なくらいに雪が降っている東北。
12月よりもだいぶ片付いてきた“瓦礫”。
「みんなにとっては瓦礫かもしれないけど、僕たちにとっては“瓦礫”じゃなくて、“自分達の町”なんですよ」
って、ツトムさんが言ってた。
そういうことを乗り越えて、みんな戦ってる。
何もかも無くなってしまったままの、三陸鉄道、大槌駅。
岩手の北の方は運転を再開した路線もあるけど、
線路ごと持っていかれた所の復旧のメドはたっていない。
町の景色は、片付いてきたことで、ようやくマイナスからゼロに戻ったばかり。
一年経ってもなお、被災地にはこういう光景が拡がっている。
収まっても、落ち着いてもいない。
国の対応が定まっていないから、町の行政も動かない現状。
言い方はおかしいけど、“STANDING STANDING”のみんなは国を相手に、
自分達の育った町のために、
これからの子供たちのために、
戦っている。
今回の東北行きのこと、また数回に分けて書かせてもらいたいと思います。
ボクが初めて震災後の東北を訪れたのは、去年の12月。
そのきっかけを作ってくれたのは、THE STREET BEATSのOKIさん。
震災後の去年の5月以来、毎月大槌を訪れて、本当の家族以上の思いを持って、
“岩手県大槌町を本気で復興させる会 大槌STANDING STANDING”
のメンバーを様々なカタチで支援し続けているOKIさん。
12月以来、ボクも大槌のみんなとの繋がりが生まれ、
ボクが東北で見てきたこと、感じたことを、そして被災地の現実を東京でみんなに話させてもらった。
今回は大槌町の子供たちの春休みお楽しみ会を開催する、ということで、
ボクの地元の仲間も連れて、今回もOKIさんと一緒に同行させてもらってきました。
・・と、その前に、震災から一年経った大槌町の様子を見てもらいたい。
前回のボクの1月の試合にも応援に来てくれた、“大槌STANDING STANDING ”のツトムさんが、朝早くに到着したボクらを迎えに来てくれて、
大槌町の現状をボクらに見せてくれるために、車で回ってくれた。
漁業の町、大槌の港にはいくつかの水産加工工場が建て直されていたけど、まだ景色は戻っていない・・。
崩れたブロック塀のように見えるのは、数メートルの高さの防波堤。
それを軽々と飛び越えて町を襲った津波・・。
今年は異常なくらいに雪が降っている東北。
12月よりもだいぶ片付いてきた“瓦礫”。
「みんなにとっては瓦礫かもしれないけど、僕たちにとっては“瓦礫”じゃなくて、“自分達の町”なんですよ」
って、ツトムさんが言ってた。
そういうことを乗り越えて、みんな戦ってる。
何もかも無くなってしまったままの、三陸鉄道、大槌駅。
岩手の北の方は運転を再開した路線もあるけど、
線路ごと持っていかれた所の復旧のメドはたっていない。
町の景色は、片付いてきたことで、ようやくマイナスからゼロに戻ったばかり。
一年経ってもなお、被災地にはこういう光景が拡がっている。
収まっても、落ち着いてもいない。
国の対応が定まっていないから、町の行政も動かない現状。
言い方はおかしいけど、“STANDING STANDING”のみんなは国を相手に、
自分達の育った町のために、
これからの子供たちのために、
戦っている。
今回の東北行きのこと、また数回に分けて書かせてもらいたいと思います。