2024/7/18 友との会話 備忘録① | naointhestarsのブログ

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ななし — 今日 15:02

常々愚かな人間に感じていることだ


jelly legs — 今日 20:07
セネカですか


ななし — 今日 20:07
戒めになる
ななし — 今日 20:07
はい
積んでいたものを読んでいます
ウィトゲンシュタインの目当ての著書は在庫切れだったので
入門講義 ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を買いました


jelly legs — 今日 20:09
筑摩のやつかしら


ななし — 今日 20:09
です
筑摩選書
めっちゃよさそう
これからも立ち寄るようにしよう


jelly legs — 今日 20:11
BuddhaもThe trouble is, you think you have time.と言ってますね
ウィトゲンシュタインは面白いかもしれないですね


ななし — 今日 20:11
人間的な過誤を超越した偉人の特性は、自分の時間が寸刻たりとも掠め取られるのを許さないことなんて言ってるけど、長く生きて何かを成すために必要な貨幣の集積っていうのは、資本主義経済のもとで生きてる我々には避けて通れないものだし、人間関係もおざなりにはできないから結構机上の空論ではあるように感じました 
あくまで時間を浪費してしまう自分に対しての戒め くらいの感じでいまのところ読んでます
言っていることはすごくわかる
すでに在る者は存分に有効活用すればいいだけの話だけれども
パラパラっとページをめくりましたが、論理記号なんかの解説もやってくれてるようです
あなたが以前いっていた


jelly legs — 今日 20:14
諸学問の祖であるような哲学も閑暇から始まっています つまり最初から金と時間がある人間が物事を考える余裕があるということかもしれない


ななし — 今日 20:15
ん~
立場や環境が違えば出発点から違う
至極当然ではあるか


jelly legs — 今日 20:16
中にはアインシュタインやラマヌジャン、フェルマーみたく働くことと両立して業績をあげる人もいるけれど、フェルマー以外は結局、その内大学で研究に専念するし 
そもそも実生活に直接使える知識は教科書にあまり載ってないですからね
必要性の観点からも、切り捨てられる


ななし — 今日 20:17
そうですね


jelly legs — 今日 20:18
論理記号は著者や分野によって使い方も意味も多少ずれてきますね、特にウィトゲンシュタインの記号の扱いはウィトゲンシュタインでしか見ないと思います
これに関して言えば、社会生活上免れないこと(人それぞれ違うかもしれないが)は、避けられないと飲み込んだ上で、その時その時一瞬の時間を最大効率で活用することを念頭におけばまあよさそうな気がします


ななし — 今日 20:22
似たような感じで解釈してます
程良く自分の実生活に落とし込めるよう
先ほどの指摘を受けて改めて気付かされるものがありましたね
これに限った話ではないが、鵜吞みにせず自分と照らし合わせてある程度の柔軟性を持たせるのは大切だと


jelly legs — 今日 20:27
僕はきっとまだ熱情の毒に侵されてないだけなのだと思いますね。目の前の現実が僕の足を掴んで離さないだけで、何れその日が来ましょうが、その時には最早、金とか人間関係とか遥か後ろに置いて、所謂ショペンハウアーが言うような、動物的な「肉体化した現在」に身を賭すことになるだろうとは密かに感じています
恐らくそれは現在を体得したということかも知れない


ななし — 今日 20:30
私もそうなんだろうなあ


jelly legs — 今日 20:30
僕ね常々思っていますが、人生で一度くらいは程よさなんてもの捨ててみてもいいと思いますよ
いつまでもいい塩梅を探してては、そんな生活では自分は自分をどこへも連れてってあげることは出来ないと思うのです


ななし — 今日 20:31
まだ忙殺されている身ゆえ
ホホホ・・・


jelly legs — 今日 20:33
時間があるのは老後ですが、老後は力が残っているかわからない上に長すぎる社会生活の心労で心の青春の灯火も完全に消えてしまっては、もう戻ってくることはないじゃないんでしょうか
わからないけれども
中々難儀な様に思える
若いうちにやっとくといいかも知れない
少なくとも家庭を持つ前かしら
責任とか世間体みたいな共同幻想はベタベタと離れませんからね、自分は良くても相手は嫌がるかも知れない、そうなった時、自分の信念を捨てるか、家族を捨てるか、大体答えは簡単ですね


ななし — 今日 20:36
私を忙殺する諸々に対し思う感情はありますが、すべてが私に対して攻撃的であったり害をもたらすものばかりでもないのです
この現代社会という基盤の上に成り立っている生活だから、社会性というものを度外視するのは中々に困難なものであると。
それこそあなたが先ほど言っていた「その時その時一瞬の時間を最大効率で活用することを念頭に置いておく」というのは胸に留めておきたいものです


jelly legs — 今日 20:37
全てが害をもたらすものでもないですね、身近なことでいえば、この様に話していることもまあ含まれてくるわけですから


ななし — 今日 20:38
自分の人生を生きたいとも思いますが、だからといって周りを置き去りにしていきたいとも思わないわけです
はい
その通り


jelly legs — 今日 20:38
ただ気をつけたいのは、取捨選択でしょうな


ななし — 今日 20:38
ですな~。
内と外の線引き ですよね。
カカカw


jelly legs — 今日 20:40
害がないからと言って利があるのか、利害関係だけが全てではないけれども、自分が理想として掲げるものに対しての効力を考慮して、優先順位は当然つけて然るべきです
ですがきっとあなたが程よさを捨てた暁には、きっと何か他のものも、ポケットからこぼれ落ちているかもしれません


ななし — 今日 20:41
そうですね
ただ今まではポケットからこぼれ落ちまくっていた人生ですから、まあまあ
好転しつつあると、そう思いたいし引き続き気を付けていきたいものです


jelly legs — 今日 20:44
ここで戒めとして書いておきますが


ななし — 今日 20:45
なんでしょう


jelly legs — 今日 20:45
人生は旅行の様なもので、まあ死ぬ日までの自由行動ですが、旅行先でしたいこと見たいものは、一人なら全てやってしまいたいです。
しかし班行動で、さらに班の人数が大きければ大きいほど直接私の意見は通りにくいし、自由行動ではあるけれどそれは私の自由ではないのです


ななし — 今日 20:47
おお~
とてもわかりやすい
素敵な例えだ
たしかに


jelly legs — 今日 20:48
班員の人数はお互いの意見が限りなく尊重されて、全員が満足して旅行を終えることのできる数が、お互いにとって理想的であると言えましょう


ななし — 今日 20:48
でも私が本当にやりたいことを実践するときは、今までもそうだったけど一人でしたね
あなたもご存じかと思いますが
そして班の構成員は必ずしも人じゃなくてもいいわけです、思想でも物でもなんでもいいわけです


ななし — 今日 20:49
ふむふむ


jelly legs — 今日 20:49
ただ自分の人生を構成する要素としてということです
必ずしも我慢が悪いこととは言いません、我慢した結果、別の良い結果にさえ辿り着ければ良い
我が班の旅行をいいものにしてやろうとそれだけであります


ななし — 今日 20:51
そうですね


jelly legs — 今日 20:52
だから如何なる状況でも全力で立ち向かうということですね


jelly legs — 今日 20:53
これは難しい話で、一度群れると中々戻れない
しがらみも、個人的な感謝だとか、離れた後は相対的に寂しさもあるでしょうし


ななし — 今日 20:53
もう学校内でも群れるのがしんどくて、登校し始めてからも新しくできた知人とは必要最低限(授業内の会話)の関わりしかもっていないな 
なのでとても共感できる


jelly legs — 今日 20:55
群れるということは自由と引き換えに安全を手に入れることに近いですから


ななし — 今日 20:55
そんないまにも崩れ去りそうな浮ついた安定なんてものは私から壊します 


jelly legs — 今日 20:56
一度入ってしまえば、誰が安全柵の向こう側に行きたいんだというふうな具合になってしまう


ななし — 今日 20:56
学校や会社が変われば途絶えてしまう関係なんて、それこそ必要以上に自分の時間を投じてまで関わる価値があるのかと
常々感じます


jelly legs — 今日 20:57
それはまさにそうだと思います
他者の介入ありきの関係性はその場しのぎ程度のもので代替可能な場合が多い
そんなんだったら別の人間がやればいい 
そんな飯事に付き合ってる暇も体力もないです


jelly legs — 今日 21:00
まあ旅行と言いましたが、それは出発点から見た話で、振り返れば遺言とか遺書とかそっちの類ですからね
何を伝えて去るかということも考えても良いかも知れない


ななし — 今日 21:02
なるほど

 

jelly legs — 今日 21:05
楽しさとかもきっと重要なファクターではありますけど、振り返った時に自分の足跡が無かったら、自分が歩んできた道のりへの自信の無さから、忘れていた虚無への絶望にまた呑み込まれてしまいそうになる
楽しみ方も大切な一つかもしれません
まあ逆に虚無に完全に身を任せて好きに生きて宇宙の泡に消えていくことを望む方がよっぽど楽そうですけれども

ななし — 今日 21:10
楽だろうな~~~~。
実践したいとは思いませんが。
それこそ快楽を貪るだけの奴隷には成り下がってしまうのだけは避けたいところではある
あくまで楽しさなんてものは副次的なもの くらいの認識でよさそう
何事もそうだけど目的と手段を履き違えてしまうのはなんとも悲しいことですから。
楽しむために何かをするのではなく成したい事に向かって駆け抜けた過程や先にそれらはあるものだし、そうあるべきでしょう