神様と美流 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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音楽、ナノテク、微粒化、日々の思いをつづっています。
微粒は、美流でつくられ、美粒となります。その思いをつづっています。

 自分というのは、記憶があるから、自分でいられる。すべての記憶を喪失したら、コンピューターで言えば、ハードディスクを完全に初期化したら、どうなるかという命題と同じである。自分が誰であるか、わからなくなる。記憶喪失した後の自分は、自己認識機能が回復した後、自分というものを認識しだすだろう。しかし、過去の記憶がなければ、自分が誰であるのかわからない。ある意味、それが、死後の状態と符合する。誰かが生を受ける。人が成長できるのは、記憶できる能力をもつからである。それが、学習である。そうして、だんだんと、自分というものが、何であるのか、理解するようになる。自我の形成である。当初は、自分と外部との関係など、わからない。しかしながら、だんだんとその関係もわかってくる。そうなれば、外部と自分との界面を意識しだす。免疫と自己防衛機能が動き出す。防衛機能が作動するため、強い自我が形成される。それ以前に、神様という概念を教え込まれないと、自我の中に神は存在しなくなる。あくまでも、神様は、外部にある何かという存在になる。神様との遭遇をその時、逸すれば、後は、記憶が崩壊し、自我の壁が薄れかけてくるころまで、待たなくてはいけない。

 

 

 記憶があるから、人は、ホメオスタシスを維持できる。外部刺激に対して、何も防御機能が傍らなければ、ストレス(応力)で人は破壊される。記憶があるから、防御のやり方を学習することができる。子供の時、誰でも小学一年生となる。親から離れて、集団生活をまなぶ、そこは、十人十色の世界である。そこで、自分の立ち位置を学ぶことになる。どうしたら、この集団生活で生きていくことができるかである。そして、中学生、思春期を迎える。異性とどう接したらいいかわからない。それも試行錯誤である。そして、学生から社会人となるときである。いろんなストレスを受ける。そして、そこで、経済活動をまなぶ。どうやったら、金をとれるかである。すべては、試行錯誤で、場を見ながら、行動を決めていく。どうしたら、この場で生きていけるのか、誰でも他人との距離感を測りながら生きていくことになる。原理原則は同じである。外部刺激、ストレス(応力)に対して、どうそれを防御しながら、自分の欲望を最大限満足させていくのか、その時間軸に対する外部との関わりこそが、人生なのである。

 

 

 しかし、それも、どこかで終わりが来る。記憶が崩壊していくからである。年寄で死期が迫っている人の共通点は、記憶があいまいになっていることである。記憶がしっかりとしていて、論理の筋道がしっかりとしていれば、まず、死なない。自己免疫機能が暴走しないからである。人が崩れるのは、何かのストレスに対して過剰に反応して、自分を自分で壊そうとするからである。ある程度、自分を制御できれば、自分で自分を壊すことはなくなる。

 

 

 自分が生まれる前も自分が死んだ後も、この世は残る。しかし、記憶する機能がないから、そこは空の世界である。しかし、世界はある。つまり、自分を超越した何かが存在するということである。この世もまた同じである。なんのためにこの世があるのか、誰もわからない。宇宙の始まりを考えれば、誰がどのようにして作ったのか、という命題に突き当たる。それもわからない。自分の人生が有限なら、この世もまた有限に違いない。この世を生んだ、この世の論理を包括する世界が、どこかにあるはずである。自分はこの世の一部である。だから、自分に関わる因果は、この宇宙にも適応するはずである。自分に命があるのなら、この世にもまた限りある命があるはずである。自分に意思があるのなら、この世(宇宙)にも意思があるはずである。自分の中にも、小宇宙がある。私の体の中に生息している微生物がいるはずである。それと同じように、この世もまた、何かの一部であるはず。それもまた、何かの一部かもしれない。それぞれがそれぞれに、意思をもっている。その意思を貫くものが、美流というものだと感じている。美流という因果をつくりあげたもの、その流れを支配するもの、それが神様である。

 

 

 美しい夕焼けに闇が忍び込んでくる。そうすると、闇の中から、おびただしい光が浮かんでくる。星明りである。古の人は、死んだら、自分は、星になると考えたであろう。自分が死んだら、次の世界にいく。自分の思いは、この世の中に拡散していく。煙が大気に広がっていく感覚と同じである。いずれ、この宇宙も終わりが来る。きっと、同じことがおきるはずである。この宇宙を含むものの中へと拡散していくはずである。

 

 

 美流も決して、均一ではない。不均一の場は必ず現れる。それが乱れである。乱れれば、美流の中に消滅していく。最初から何もなかったように、消えていく。もちろん、それが真実かどうかなど分からない。しかし、私が見ている世界では、そうなっている。

 

 

神様はいるのですか?

自分が今、この世に存在していること自体が、神様の証明になっている。

自我がある以上、自分を認識したとたんに、神様の存在は消える。

だから、神様は見えないし、感じられない。ある意味、それが正常である。

しかし、人は、いつしか、崩れ始める時を迎える。

その時、神様が見えたらいい。しかし、その時でも神様は何も語らないし、何もしない。