”秋山なお”の美粒ブログ

音楽、ナノテク、微粒化、日々の思いをつづっています。
微粒は、美流でつくられ、美粒となります。その思いをつづっています。


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 人は、どこかで、必ず、エンドを迎える。どんなものにも、始まりがあれば終わりがある。未来永劫、この世があるかもしれないが、それを認識する自分というものが、なくなれば、それも、おわる。自分がなくなれば、自分が認識している世界も、同時になくなる。自分の外にあるすべてのもの、それは、自分にとっては、有限のもので、期限付きのものでしかない。寝ている時には、自分は自分を認識できない。睡眠から目覚めた時、自分が再生される。そこに、自分があると思うのは、過去からの記憶があるからで、記憶がなくなれば、自分はいったい、誰なのか?ということになる。

 

 

 なぜか知らないが、この世に、生まれた。ここに、自分がいるということは、別な次元に、自分と同じような感覚な者がいないとも限らない。この宇宙の始まりのビックバーンも常識的に考えれば、そのエネルギーがなければ、発生しない。では、そのエネルギーはどこからでてきたのかとなれば、当然に、それを生む何かが存在したということになる。結局、訳が分からないが、なにか、別なものが存在していることは予想できる。たぶん、自分というのは、その中の一部分だというのは、わかるような気がする。それ以上のことはわからない。荘子の中に、胡蝶の夢、というのが、ある。自分は、ひらひらと彷徨う蝶の夢の中の一部、もしかしたら、世の中は、そんなものの重なりでできているのかもしれない。いくらやっても、高次元のものは、我々からは、永遠に理解できない。不可知論の論理が働く。

 

 

 そうなれば、自分の人生、どこで、幕を引くのか、人生の引き際を考えなくてはいけない。だれもが、自分の人生、自分ひとりで頑張ってきたと思う。たしかに、それがキーになるのは確かである。しかし、それだけではない。いろんな人との相互作用の中で自分の人生が決定されたはずである。いい人とのであいも重要であるが、自分を裏切った人、自分の足をひっぱった人、そういう自分にとってマイナスを与えた人との出会いもまた重要なのである。人生は順風満帆なことなどありえない。永遠にうまくいくとは限らない。人生を振り返ると、人生の転換期には、必ず、そういったマイナスを与えた人との出会い後に何かが起こるものである。大抵は、ろくなことではないが、そのろくでもない事を、どう乗り切るかで人生の色彩が変わるような気がする。そういったマイナスを与えた人との相互作用は、結果的に何をもたらすのだろうか。たぶん、それによって、人間の器が大きくなるのだろうと思う。順風満帆で生きてきた人と、挫折を繰り返し頑張ってきた人とが、仮に同じ歳であっても、それぞれがもっている器の大きさが違ってきているのである。それが、どこで飽和するか、順風満帆で楽して生きてきた人は、器が小さいから、はやく、飽和する。ある意味、時間が早く経過し、それだけはやく呆けることになる。苦労人は、当然に、器が大きくなっているから、飽和点がおそくなるのである。どうも、そんな気がする。秀吉と家康、秀吉が天下をとるまでは秀吉の方が大きかったが、それから、家康の方が、逆転して、器量はさらに大きくなった。だから、秀吉の方が早く飽和しぼけて、早く死んだ。

 

 

 人生の引き際、どこで、線を引くか、永遠に、見果てぬ夢を追い求めても、どこかで区切りをつけないと、アウトになる。もちろん、人間、あきらめた時がエンドになるから、がんばった方がいい。しかし、だれでもが、自分の人生の飽和点をもっている。器が大きければ、まだ、余裕がある。トランプ大統領、70歳で大統領、それだけの器があったから、がんばれるのである。同じ70歳でも、引退して、ぼっとして生きられる時間を無為にやり過ごす人もいる。小池百合子都知事、64歳で、都知事就任である。同じ、64歳でも、よぼよぼのおばあちゃんのような人もいる。年をとっても、がんばれる人ほど、器が大きく、まだ、飽和していないのだろう。逆に言えば、過去、順風満帆に生きてきたようでも、内面は、相当な苦労があったのだろうと想像する。

 

 

 人生の引き際とは、飽和点に、達したと感じた時、そろそろ、引退ということになる。人生のサイクルをみたらいい、安倍首相、最初は、短命におわった。しかし、それをばねにして、病を克服し、再度、首相の座を射止めた。しかし、慢心がおこった。森友や加計問題、支持率は低下した。それとともに、次をねらう岸田前外務大臣や石破元幹事長の力が台頭してきた。引退する歳ではないが、そろそろ、飽和点に近づいてきているように見える。これは、避けることができない宿運のような気がする。頑張れると思って我をはっても、余計、状況はわるくなる。よくわからないが、何かしらの因果が働いているのだろう。

 

 

 サラリーマンなら、オーナー企業でないかぎり、65歳で役職定年である。取締役であろうと、雇われであれば、さよならである。強制的に退場である。65歳から、たぶん、最後の10年から15年の人生が残っている。だいたい、80歳ぐらいまで生きれば、体がアウトになるのは必定、それからは一日一日、生きられたらラッキーということになる。若い時は、10年単位で人生を考えられた、50歳から60歳までは、5年単位から3年単位、65歳以降は3年単位、70歳をこえたら、一年単位、80歳をこえたら、3か月単位ということになるだろう。もちろん、還暦をすぎたら、実年齢よりは、自分の器量にたいして、今、何分目の位置に自分がいるのか、それが後何年生きられるかを支配しているような気がする。器が大きければ、それだけ、がんばれる。やらなければならないことがあれば、人は、死なない。なぜか知らないが、世の中は、そういうふうになっているように感じる。

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