お次はクレさんの実家があるパラナ州の中でも最もきれいな街「クリチバ」へ出掛けました。
運転手付きででっかいルノーのワゴンに乗りお義母さんと3人で出発。
この運転手、“ゼ・カルロ”はこの後リオ・デ・ジャネイロでも登場するのですが、大ボケにボケた67歳の老人。
そしてこの車を手配したのは先述の義理の弟・ファビオなのですが、どういう話をしたのだか、2泊3日が1泊2日に変更されてしまってた(笑)
さて、クリチバという都市は計画都市として知られ、交通渋滞が起きないよう設計されてます。
中心部は石畳になっててちょっとヨーロッパっぽい作りになってました。(ブラジルの中できれいと思えた場所の一つでした)
まずは中心からやや離れただだっ広い公園へ。
その公園はみんなランニングとかに来るだけみたいだけど、何故かカピバラが棲息しているのです(笑)
しかも何十頭も
そしてカピバラがいる池にはなんとワニも棲息してるらしい
どんだけだてか、共存できてるのかナゾ。。
とりあえずこのカピバラを見に近づいてみたけど、フンだらけ�
2メートル近くまで接近して写真撮りました
ちなみにブラジルではなんでカピバラが好きなのかは理解されない(笑)
そしてこの後判明したのですが、クレさんの実家の街カルロポリスでもカピバラが棲息してるらしい(わざわざ見に行った)
その後、全部鉄柵で作られてるイベント会場(名前を忘れたけど、これも観光名所の一つ)に行き下からだとパンツ丸見え状態になりながら、ぐるっとまわりました。
ちなみにこの会場は以前は採石場だったらしく、役目を終えた採石場を何かに使えないかと考え作られたらしいです。
ブラジル人の中によくそんなこと思いついた人がいたな。。
そしてお昼を食べにショッピングモールへ。ここは昔電車の駅として作られたのを改装して出来たショッピングモール。ここでちょっと両替したのですが、そこにはオカマ先生がいらっしゃった…。強烈でした
お次は“ジャルジン・ボタニック”と呼ばれるいわゆる植物園へ行き、お義母さんの従弟に当たるノボルさんファミリーと合流。
お義母さんのお父さん、つまりクレの日本人のおじいちゃんの妹のチア・イザベルの家へ一同移動。
無数のネコが入り乱れるお家でした。。
そしてお義母さんはチアの家に一泊。
私たちはノボルさんのおうちに一泊。
ノボルさんのお父さんであるゼ・ハマヤというおっちゃんは昔カルロポリスでは有名な日系人だったらしい。
クレさんのゼ・ハマヤの思い出は、日本に行く前に、
「クレイトン~!日本行ったら“キンタマ”って言っちゃダメだぞ~!」
と言われたことらしい(笑)
まぁ、ブラジル人からも日系人からも好かれる人だったみたいです。 ちなみに今は故人です。
翌日はショッピングモールに行き、お義母さんを迎えに行った後みんなで旧市街へ。
これが先述の通りヨーロッパみたいな作りですごいきれいだった!
一通り見回り、ノボルさんたちとお別れして、帰路。
途中いくつか小さい街があるのですが、その中のジョアキン・タブラという街とカルロポリスの間に村がありまして、その村は通称「クルージャ(ふくろう)」と呼ばれています。
なんでクルージャなのか、オトボケ運転手のゼ・カルロに聞いてみたら、
「ふくろうがいっぱいいたからじゃない?」
とのこと。
すかさずお義母さんが、「違う!」と本当の意味を教えてくれました。
それはその村の牧場主の人がふくろうみたいな顔をしてたかららしい(笑)
どっちにしろくだらない理由(笑)
しかしこのふくろうおじさんはお義母さんの従妹の親戚らしいよ(笑)
どんだけ親戚いるんだ�
そんな感じで次はバースデー編です
改めて皆様、ようやく日本に帰って参りました!
初めてブラジルに行って、何に驚き悲しみ怒り狂ったかツラツラ綴ってみようと思うので、暇なときに読んでくだされば。。
まず、初日からダメでした。出発日にまさかの残業。 が、なんとかなった。
ドバイの空港は真夜中でも乗り継ぎの人たちでごったがえしで、ひたすら圧倒。金のジュエリーがわんさか売られてた。(欲しかったな)
そしてアフリカ大陸を眺めながら15時間フライト(笑)
機内から、多分私はアフリカには住めないなって思っちゃった。。
そしてサン・パウロはグアリョーラス空港着。
クレ父と奥さん(お母さんではないのです。理由は察してね)とすぐに合流!
荷物詰め込み、いざクレさんのふるさとカルロポリスへ!
…ってこれがめちゃくちゃ遠いの(´`)
行く前に飲み物買って、お父ちゃんに何か食べるか聞いたら、ナッツのお菓子を支払い前にむしゃり。
「どうせ払うんだも~ん^^」
って完食後に支払い。
これはしばらくすると当たり前のことに思えてくるのであります。。
そして車でぶっ飛ばすこと約4時間。
真夜中なのに2歳児の姪っ子“マー”ことマジュリエ(この憎き可愛い姪っ子については後々書きます)が義理の弟(っていってもクレさんより年上 笑)に当たるファビオの仕事が終わるの待ってた。
そして一同クレ母の家へ。
その日は爆睡。
翌日起きて、お土産解放。
クレさんが会社からもってきたガラクタ否、オモチャをお兄さんの子ども“ジュニア”(1歳4ヶ月)にあげたら大喜び。
そして日本で買った「カーズ」の形をしたクロックスもどきのサンダルを見せたら急いで靴を脱ぎ始めた(笑)
お義母さんによると翌朝ベッドみたらジュニアがいなくてびっくりしてたら、ベッドの下にもぐりこんでこのサンダルを探してたらしい(笑)
そして一同クレさんの妹のヒバンニャの家へ。
マーの犬の可愛がり方がコワい。。
犬がビビって逃げ出す始末。
ここでもお土産解放。
昼ごはん食べて真っ昼間からビール飲みながら、ひたすら話が続きました。
途中、お父ちゃんが車でカルロポリスを案内してくれました。
そして夕飯はまたてんこ盛り。
「食べて食べて!」
って言われたけど、常人のそれとは異なる量。もう半端ない量。
実は私は結婚式の一週間前からストレスであまり食べれなくなっていたのですが、ブラジル行ってちょっとは解消されたかな~ けど、ホンモノのブラジル人のようには食べれません。
クレさんのふるさとカルロポリスは日系ブラジル人とブラジル人が半々くらいで住んでいる街で、ていうかブラジル全体がそういう国なので、私も日系かミックスかと思われてた。そりゃ日本の平均身長を10cmもはみ出してる人だからねぇ。。
「ポルトガル語話せません」「日本人です」っていってんのに、
「どこの生まれ?」
って聞かれる(笑)
「日本で生まれて育った人です」って言わないと外国人だと思ってくれない。。
ブラジル人の日本人に対するイメージは大概、
「小さくて細くて笑わない」人。
そして「言葉解りません」っていってんのに、ひたすらポルトガル語で語りかけてくる人々。。
恐ろしいよ、ブラジル。そしてブラジル人。
カルロポリスではただただのんびりして、ひらすら子どもたちと遊んで食べて寝て、住人のほとんどじゃないか?と思われる人たちに会い、話してました。
中でもかわいがってくれた日系人のドナ・イザベルとは日本語でペチャクチャしゃべってた。
こんだけ日系が多いので、多分住んでもいけるんじゃないか?と思われ。 ブラジルの米はタイマイのようなパラパラ米であんまり好きにはなれなかったけど、日本の米とミックスして焚けばちょうどよし
まぁ、住むとなったらご飯は自分で作るからさほど困りはしないと思われ。
そして上記に登場した姪っ子・マー。
このおちびちゃんはやってくれる。
とりあえず砂糖とか甘いものしか食べない。 この子はお砂糖で出来てるんじゃないかと思われ。
そして2歳にして口達者!
ジュニアは何持ってるの?と聞けば
「ピピ(ちん×2)」
マーは何を持ってるの?と聞けば
「シシェーカ!(おまた)」
シシェーカはどうなの?と聞けば
「シシェーカ フィジータ!(くさいおまた)」
はぁ。。恐ろしい2歳児。。
そして「私の!」の意識が超絶的に強い。
クレさんは私の旦那さんだよって言うと、
「メウ!(私の!)」
と返してくる(笑)
目の前でキスしようとすると手が出てくる(笑)
そして私はどうしゃべってるの?と聞くと、舌をベロベロさせて、そういう風にしゃべってると言う(笑)
一方ジュニア君はまだ「おばあちゃん」と「お母さん」しか言えないけど、なぜか三輪車をスイスイこいでしまう。
私がソファで寝てれば上に乗っかってきてひたすら顔へダイブ(笑)
小さい段差はコワいのでハイハイしながらバック移動(笑)
いや~、子供たちには笑わせてもらいましたわ。
そんなこんなで次は「クリチバ」というちょっと都会まででかけました。
初めてブラジルに行って、何に驚き悲しみ怒り狂ったかツラツラ綴ってみようと思うので、暇なときに読んでくだされば。。
まず、初日からダメでした。出発日にまさかの残業。 が、なんとかなった。
ドバイの空港は真夜中でも乗り継ぎの人たちでごったがえしで、ひたすら圧倒。金のジュエリーがわんさか売られてた。(欲しかったな)
そしてアフリカ大陸を眺めながら15時間フライト(笑)
機内から、多分私はアフリカには住めないなって思っちゃった。。
そしてサン・パウロはグアリョーラス空港着。
クレ父と奥さん(お母さんではないのです。理由は察してね)とすぐに合流!
荷物詰め込み、いざクレさんのふるさとカルロポリスへ!
…ってこれがめちゃくちゃ遠いの(´`)
行く前に飲み物買って、お父ちゃんに何か食べるか聞いたら、ナッツのお菓子を支払い前にむしゃり。
「どうせ払うんだも~ん^^」
って完食後に支払い。
これはしばらくすると当たり前のことに思えてくるのであります。。
そして車でぶっ飛ばすこと約4時間。
真夜中なのに2歳児の姪っ子“マー”ことマジュリエ(この憎き可愛い姪っ子については後々書きます)が義理の弟(っていってもクレさんより年上 笑)に当たるファビオの仕事が終わるの待ってた。
そして一同クレ母の家へ。
その日は爆睡。
翌日起きて、お土産解放。
クレさんが会社からもってきたガラクタ否、オモチャをお兄さんの子ども“ジュニア”(1歳4ヶ月)にあげたら大喜び。
そして日本で買った「カーズ」の形をしたクロックスもどきのサンダルを見せたら急いで靴を脱ぎ始めた(笑)
お義母さんによると翌朝ベッドみたらジュニアがいなくてびっくりしてたら、ベッドの下にもぐりこんでこのサンダルを探してたらしい(笑)
そして一同クレさんの妹のヒバンニャの家へ。
マーの犬の可愛がり方がコワい。。
犬がビビって逃げ出す始末。
ここでもお土産解放。
昼ごはん食べて真っ昼間からビール飲みながら、ひたすら話が続きました。
途中、お父ちゃんが車でカルロポリスを案内してくれました。
そして夕飯はまたてんこ盛り。
「食べて食べて!」
って言われたけど、常人のそれとは異なる量。もう半端ない量。
実は私は結婚式の一週間前からストレスであまり食べれなくなっていたのですが、ブラジル行ってちょっとは解消されたかな~ けど、ホンモノのブラジル人のようには食べれません。
クレさんのふるさとカルロポリスは日系ブラジル人とブラジル人が半々くらいで住んでいる街で、ていうかブラジル全体がそういう国なので、私も日系かミックスかと思われてた。そりゃ日本の平均身長を10cmもはみ出してる人だからねぇ。。
「ポルトガル語話せません」「日本人です」っていってんのに、
「どこの生まれ?」
って聞かれる(笑)
「日本で生まれて育った人です」って言わないと外国人だと思ってくれない。。
ブラジル人の日本人に対するイメージは大概、
「小さくて細くて笑わない」人。
そして「言葉解りません」っていってんのに、ひたすらポルトガル語で語りかけてくる人々。。
恐ろしいよ、ブラジル。そしてブラジル人。
カルロポリスではただただのんびりして、ひらすら子どもたちと遊んで食べて寝て、住人のほとんどじゃないか?と思われる人たちに会い、話してました。
中でもかわいがってくれた日系人のドナ・イザベルとは日本語でペチャクチャしゃべってた。
こんだけ日系が多いので、多分住んでもいけるんじゃないか?と思われ。 ブラジルの米はタイマイのようなパラパラ米であんまり好きにはなれなかったけど、日本の米とミックスして焚けばちょうどよし
まぁ、住むとなったらご飯は自分で作るからさほど困りはしないと思われ。
そして上記に登場した姪っ子・マー。
このおちびちゃんはやってくれる。
とりあえず砂糖とか甘いものしか食べない。 この子はお砂糖で出来てるんじゃないかと思われ。
そして2歳にして口達者!
ジュニアは何持ってるの?と聞けば
「ピピ(ちん×2)」
マーは何を持ってるの?と聞けば
「シシェーカ!(おまた)」
シシェーカはどうなの?と聞けば
「シシェーカ フィジータ!(くさいおまた)」
はぁ。。恐ろしい2歳児。。
そして「私の!」の意識が超絶的に強い。
クレさんは私の旦那さんだよって言うと、
「メウ!(私の!)」
と返してくる(笑)
目の前でキスしようとすると手が出てくる(笑)
そして私はどうしゃべってるの?と聞くと、舌をベロベロさせて、そういう風にしゃべってると言う(笑)
一方ジュニア君はまだ「おばあちゃん」と「お母さん」しか言えないけど、なぜか三輪車をスイスイこいでしまう。
私がソファで寝てれば上に乗っかってきてひたすら顔へダイブ(笑)
小さい段差はコワいのでハイハイしながらバック移動(笑)
いや~、子供たちには笑わせてもらいましたわ。
そんなこんなで次は「クリチバ」というちょっと都会まででかけました。
もうね、参列者にありがとうとしか言えない
まさかまさかみんながこんなにやってくれるとは…
まず結婚式!
教会でクレさんが緊張のあまり左右わからなくなってしまい、もうズタボロ�私も素がでてしまい「ちがう!左だよ左!」と怒り飛ばしてしまった�
そして指輪交換でまさかのはまらないというハプニング発生。
ヴェールの下の私の顔はまさに般若の形相。
どうしてそんなに節が太いんですか!
披露宴はほっとんどご飯は食べられなかったけど、みんなとゆっくり話せてよかった�
そして何より、司会!!(私の先輩であり友人)
もうね、親戚もクレさんの会社関係の人も大絶賛
私もビデオで再確認したけど、うますぎて本当に感激してしまった
姪っ子ともちゃんの説明までありがとうございました^^
あ、ちなみにともちゃんにあげたピンクのくまは相当お気に召されたようで、首のリボンに腕を通してバックのように持ってた(笑)クマ、くるしそうでした�
披露宴の後はすぐに抜け出せなくてごめんね何やらかんやらやることいっぱいで�
でも、ちょろっとだけでもみんなと会って話せてよかった^^
インターコンチの部屋もすごかった
朝焼けは…コンタクトしてなかったけど、ぼんやりキレイだとわかりました(多分ね)
そして実家でみんな一時死亡�
いざパーティへ
せこい私たちは結婚式で使った花を持ち帰り、父に原宿まで送ってもらい、原宿のあの交差点で一家総出で花を持ち運ぶ私たち。。
道行く人の視線がアイタタ。
でも!昨日とはガラリと雰囲気変わったけどまたまた素敵な感じになってよかった�
遠いのにわざわざありがとね~
もっともっとゆっくり話したかったけど、時間は許してくれずまたもやご飯は食べ損ねたけど、もう楽しすぎてヤバかった
そしてまさかのプレゼントの嵐
変態みんなの写真やばすぎ(笑)
ナノケアありがとね~夜な夜な使って疲れをとります
会社の同期からもトリーバーチのバック
色紙にも感動しちゃった�もう誰がこんなこと考えついたのー�!
そして後輩からもプレゼントすごい綺麗なボックスと写真たて!
辞めちゃった派遣の方からはミキモトのジュエリートレイ�(私はこれを杯と勘違い 笑)
小中学校一緒のこたちからはイヴ・サンローランのブランケット�
あと、イタリア人からはMOET�
もうね、お店のスタッフさんたちもびっくりするくらいのプレゼントの山!!!
どうしてくれるんだ~どうお返ししたらいいんだ~
みんなが結婚するときはぜっったいに連絡してね!日本にいようが、ブラジルにいようが、もう私にしてくれた事を凌ぐぐらいお祝いするから
まだまだ余韻に浸ってますが、、明日から仕事だね~�
一週間後はブラジルだけど、帰ったらみんなゆっくり話そうね
本当に本当にありがとう��
まさかまさかみんながこんなにやってくれるとは…
まず結婚式!
教会でクレさんが緊張のあまり左右わからなくなってしまい、もうズタボロ�私も素がでてしまい「ちがう!左だよ左!」と怒り飛ばしてしまった�
そして指輪交換でまさかのはまらないというハプニング発生。
ヴェールの下の私の顔はまさに般若の形相。
どうしてそんなに節が太いんですか!
披露宴はほっとんどご飯は食べられなかったけど、みんなとゆっくり話せてよかった�
そして何より、司会!!(私の先輩であり友人)
もうね、親戚もクレさんの会社関係の人も大絶賛
私もビデオで再確認したけど、うますぎて本当に感激してしまった
姪っ子ともちゃんの説明までありがとうございました^^
あ、ちなみにともちゃんにあげたピンクのくまは相当お気に召されたようで、首のリボンに腕を通してバックのように持ってた(笑)クマ、くるしそうでした�
披露宴の後はすぐに抜け出せなくてごめんね何やらかんやらやることいっぱいで�
でも、ちょろっとだけでもみんなと会って話せてよかった^^
インターコンチの部屋もすごかった
朝焼けは…コンタクトしてなかったけど、ぼんやりキレイだとわかりました(多分ね)
そして実家でみんな一時死亡�
いざパーティへ
せこい私たちは結婚式で使った花を持ち帰り、父に原宿まで送ってもらい、原宿のあの交差点で一家総出で花を持ち運ぶ私たち。。
道行く人の視線がアイタタ。
でも!昨日とはガラリと雰囲気変わったけどまたまた素敵な感じになってよかった�
遠いのにわざわざありがとね~
もっともっとゆっくり話したかったけど、時間は許してくれずまたもやご飯は食べ損ねたけど、もう楽しすぎてヤバかった
そしてまさかのプレゼントの嵐
変態みんなの写真やばすぎ(笑)
ナノケアありがとね~夜な夜な使って疲れをとります
会社の同期からもトリーバーチのバック
色紙にも感動しちゃった�もう誰がこんなこと考えついたのー�!
そして後輩からもプレゼントすごい綺麗なボックスと写真たて!
辞めちゃった派遣の方からはミキモトのジュエリートレイ�(私はこれを杯と勘違い 笑)
小中学校一緒のこたちからはイヴ・サンローランのブランケット�
あと、イタリア人からはMOET�
もうね、お店のスタッフさんたちもびっくりするくらいのプレゼントの山!!!
どうしてくれるんだ~どうお返ししたらいいんだ~
みんなが結婚するときはぜっったいに連絡してね!日本にいようが、ブラジルにいようが、もう私にしてくれた事を凌ぐぐらいお祝いするから
まだまだ余韻に浸ってますが、、明日から仕事だね~�
一週間後はブラジルだけど、帰ったらみんなゆっくり話そうね
本当に本当にありがとう��