12/4(土)

いよいよもってつわりが最後のステージに入ってきた模様。

吐く回数は確実に減り、それに伴い吐き気を感じている時間帯も吐き気の強さも減ってきた。

ああつわり以外のことに身を任せられるうれしさよ!

あと少し、たぶんあと少し。

そんな気がする。


昼は夫とお好み焼きを食べに行く。

以前一度、行ったことがあるこの界隈では珍しい広島風のお好み焼きのお店。

夫も私もお好み焼きは広島風が好きだ。

しかしせっかくの広島風の店なのに、いかんせんオーナーらしきご主人の感じが非常に悪く、もう2度と行かないぜ!と夫ともども言い合ったことがあるお店である。

しかし今回はどうしても広島風が食べたいということで、

3年ぶりくらいに行ってみると、どうもオーナーが変わったらしく、感じが悪かったご主人らしきひとはおらず、若い男性2人で切り盛りしている。お店の名前も違うしメニュも変わっている。気がする。

味は悪くない。が、めちゃくちゃおいしいわけでもなかった。残念。

会計のときに夫が尋ねると、やはりオーナーが変わったとのこと。


帰宅後、しばし昼寝。

寝るつもりはなかったが気がついたら眠っていた、というだけなんだけど、

3時間も眠ってしまった。

最近、やたらと眠くなるのだが、これもいまの私の週数の特徴らしい。


夕方、夫はフットサルへ。

夜早めに帰宅してくれた。うれしい。




12/5(日)

いつもより早く、7時に目が覚める。

しかし夫は5時に起きていたので(夫が起きるタイミングで私も目が開くのだ。開くだけだけど)、

朝食もその片付けも終わったあとだった。

相変わらず夫の朝は早い。


10時半ころ、お腹が空いたという夫。

それはそうだろう、6時に朝ごはんを食べているのだもの。

早めの昼食後、漫画喫茶へ。

夫はすっかりと昼食→漫画喫茶がお気に入りのコースである。

漫画喫茶というよりはどちらかというとカフェ・ヴェローチェに漫画がたくさん置いてある、というような空間なので悪くない。

私はさそうあきらさんの「神童」を読む。最後の巻が泣けた。


帰宅後、夫が借りてきた「ジェネラル・ルージュの凱旋」を見る。

海堂さんの原作本、バチスタを含めて一作も読んだことがない。

へえ、こういう話だったのか!という内容。

原作も読んでみようと思う。

そう、やっとつわりが軽くなってきたので、そろそろ小説もまた読めそうな予感。うれしいなあ。


夕方、最近凝っている野菜スープをつくる。

いろいろな種類の野菜や茸や蒟蒻や豆腐を煮込み、半分は下味だけの状態で冷凍、半分は味を加えて数日にわけて食べる。ベースは昆布や鰹節で和風にするときもあれば、鳥がらで中華風にするときもある。

トック(韓国の餅)を入れたりうどんを入れてもおいしい。

私仕様に野菜をすごく柔らかく煮てあるのが夫には悪いのだが、夫もたくさん栄養が取れてええやんと気に入っているので良しとしよう。


夜はお好み焼きを食べに行く。

昨日も食べたばかりなのだが、夫も私も気に入っているお好み焼き屋さんで「本当においしいお好み焼き」を食べなおしたくなったのである。

こういうところが夫と私はとても気が合うと思うところのひとつ。

いまいちだったものを食べたり見たりしたりしたときに、また?とならずに、リベンジや!となるところ。


気に入りの店で、夫が、うーんやっぱりこの店は最高や!といいながらすごくたくさん食べていた。

確かにこの店はソースもマヨネーズもすべて特製だし、

具材ひとつひとつもきちんと選んで、すごく手と愛情をかけてつくってあることがわかる。

なぜか客寄せのために2年ほど前から食べ飲み放題を始めたのだが全然その必要はないと思う。

私たちはいつも食べ放題にはしないで気に入りのお好み焼きやもんじゃや鉄板焼きを少しずつ食べている。


ところで私たちの隣の席に、若い女の子2人があとからやってきた。

なに食べるー?としばらく悩んだあとに、お好み焼き2品ともんじゃ焼き1品を一気にオーダーしていた。

少ししてお店の方がお椀に入れた3品を一度に持ってきて、それぞれのお椀を丁寧に説明をして、焼き方わかりますか?わかりますぅ、そうですかではわからないことがあったらお声掛けくださいね、はぁい、なんていう受け答えをしていた。

女の子たちはまずもんじゃ焼きから食べようと思ったらしく、壁に貼ってあるもんじゃ焼きのつくりかた、を声に出して読みながらつくりはじめた。

と、「ここに書いてあるスープってなに?」「え、スープ?」というような女子たちの声が聞こえてきた。

ふと横を見ると、鉄板にきれいな土手がつくられているのだが、具材を入れてあるお椀にはスープがない。

???と思う私。それ以上に困っている風の女子2人。

そうして呼ばれた店員さんがひとこと「それ、もんじゃじゃなくてお好み焼き(の具材)です」

必死で笑いを堪える私。そりゃスープがないはずだよ。っていうか最初に気づけよ・・・。

帰りがけに夫にその話をすると、夫も爆笑しながら、最初に気づけよ、といっていた。


今日は一度しか吐いていない。

うれしい。





11/29(月)

引き続きつわり、つわり。

本当に本当に本当に!早く元気になりたい。

つわりがひどかった、という従妹からご機嫌伺いメールが来たので、

これこれこんな感じ、と伝えると、それはものすごいつわりがひどい人だと思う、という回答。

そうか、やっぱりそうだったんだー。

でも入院してないだけましだと思う。うん。


某サイトでちょっとしたことで知りあい、いまメールのやりとりをさせていただいているひとがいる。

現在、アメリカ在住のおそらく60歳を過ぎているだろう男性で(今年定年で仕事を辞めたと書いてあった)、

この年末年始に50年ぶりに日本に帰国することになった、という方。

50年前にアメリカに移住しようか中国に移住しようか悩み、表現や行動の自由を求め、何よりまだ幼い娘たちの将来を考え、アメリカを選んだこと、結果的にそれでよかったと思うということ、今回の50年ぶりの帰国は同窓会に出席するためで、京都と大津にそれぞれ何泊か宿泊し、懐かしい街並みを一度も京都を訪れたことがなくアメリカに共に渡った東京生まれの妻と歩いてみようと思っていること、などを数回のメールのやりとりで知った。

50年間。どんな思いで生きてこられたのかなあと思いを馳せる。


11/30(火)

それでも少しだけつわりがおさまってきたような気がする。

気のせいだろうか?

吐く回数と量が微量ながら減ってきている。

昼食は新井薬師の「オリエントスパゲッティ」へ。

ここは名前のとおりスパゲッティがメインなのだが、単品の料理も充実していて、なかでもうれしいのがスープメニュがあること。

スープならかろうじて飲めるので、それを発見して以来、ときどきお邪魔している。


隣の席に、私と年齢が同じくらいの男性と、その父親と思しき男性がいて、

息子のほうが一方的に父親に熱く語っている。それもものすごい大声で。

聞こうとしなくても息子の声だけは店中のひとに全部聞こえていたであろう。

どうも「息子はいったいどんな仕事をしているんだ?そしてそれは中野でなくてはできないことなのか?」というのが田舎から上京してきたらしい父親が確認したいことで、

息子はそれに熱く回答しているらしいのだが、この息子、変な宗教やってませんかね?というような説明内容と語り口調で、私が父親でなくても心配になってしまった。

そうして「お父さんとお母さんがそうやって心配してることが俺にとっては負担なわけ。わかる?それが俺のことをいちばん苦しめているってことがどうしてわからないの?」などと大声で言っていた。

悩みも家族模様もひとそれぞれだ。


録画しておいたNHKのドラマ「心の糸」を見る。

聾唖者の母親を持つ高校生の青年が、母と同じ聾唖の女性と出会うことで自立ていく過程で、自分の夢を息子に託していた母親の精神的自立をも描いた作品。

とてもいいドラマだった。

「私たち聾唖者にはできないことが3つあります。聞こえないこと、喋れないこと、無限の夢を持てないこと。

でも私たち聾唖者にはできることも3つあります。目で聞くこと、手で喋ること、現実のなかで夢を見つけること」という言葉が出てきて印象的に使われているのだが、これはドラマ脚本の言葉なのだろうか。

この言葉を青年に教えたのは聾唖の女性であり、そうしてこの言葉をつくったのは青年の母親である、というのが、なんともほほう!と思ったところ。

青年の母親は、健常者の息子には健常者と付き合って欲しいということを伝えるべく聾唖の女性と対面するのだが、その際に聾唖の女性が「でも私は無限の夢を持ちたいと思う」といい、それに対して母親が「あの頃は若かったから」と答えるのもううむ、と思ったところ。


ところでNHKのドラマは概して余計な音がしなくて好きだ。

特にこのドラマは主な登場人物が聾者なので、余計に静けさを意図的に出している部分もあるのだけれども、

NHKのドラマをたまに見ると、静かだなあ、と思うことが多い。

それにしたって民放のドラマってどうしてあんなに煩いのだろう?常に音(声を含む)を出していないとチャンネル変えられちゃうと思っているのだろうか。

そうしてNHKのドラマのいいところを付け加えると、映像の美しさ(つまり演出?)と脚本の確かさだと思う。



12/1(水)

午前中は比較的体調がよかったのだが、

午後から絶不調に。

平和の森公園まで散歩するも、あまりにも具合が悪くベンチから動けず。


早く早く早く元気になりたいよ~~~~~~~~。

と、便器に顔を埋めながらつわりになってから100回以上思っていることを今日も思う。


つわりが治って夫の仕事が落ち着いたら、

出産までの間に一度、旅行に行きたいと思っている。

夫は妊娠中に旅行になんか行って大丈夫なん?ととても心配そうなのだが

子どが産まれたら1年くらいは温泉行けないと思うし、と言って説得した。

目の前に広がる海を眺めながらぷりっぷりの魚介類を部屋出しでもりもり食べたい!というのが私の希望。

つわりになってから魚介類を受け付けなくなってしまったので、終わったらとにかく新鮮な刺身が食べたいのである。


あまりにも具合が悪いので、どこに旅行に行こうかなどと暫く妄想して過ごす。


なんだかお腹がますます出てきた気がして、

夫にどうかな?と見せると、ほんまや!ほんまにでかくなってきてるで、という。

もう一度全身鏡で確認すると、やっぱり明らかにお腹が出てきている。

なんだか不思議。


今日から12月。

今年もあっという間だった。


夫に頼んでクロゼットの奥にしまってあるクリスマスツリーを出し、

毎年クリスマスリースの代わりにしているオブジェをドアに飾った。

12/2(木)

夫の洗濯を干す手がすごく早くなっている。

洗濯干すの早くなったよねえ!すごいねえ!というと、

そう?そんなことないで?とこたえながらもどこかうれしそうにしている。

夫はつわりがひどくなってから、大嫌いな家事をちょこちょこ手伝ってくれるのでとても助かる。

自分から気がついて何かをする、ということはあまりないのだけれども、

たとえば洗濯を干している気配があれば手伝いにきてくれたり、

自分が食べた食器は洗ってくれたり(私と夫は食べる時間が違うのだ)、ごみをまとめておけば朝には出しておいてくれる、というようなこと。

特に洗濯がもっとも嫌いな夫が洗濯物を干すのを手伝ってくれるというのはすごいことだ。

日常的に家事をする男性、からはそれだけ?と思われるかも知れないのだけれども、

夫は本当に家事が嫌いなので、私が何をいわなくても、そうして嫌な顔もせず文句も言わずににこれだけのことをしてくれるのはとてもとてもありがたいことなのだ。


洗濯を干す、といえば、つわりが終わったら乾燥機つきの洗濯機を買いに行くことにしている。

これは妊娠した当初から夫と相談してあったこと。

あとはひそかにル○バ(自動掃除機?)があったら便利かなあなどと思っていて、値段次第ではついでに買おうかなと思っていたのだが、今日、たまたま朝、一緒に昨晩録画したWBSか何かを見ていたら、ル○バのCMが入った。

ので、ル○バ買おうかと思うんだけどどうかな?と聞いてみると、本当に性能がよくて、たとえばカーペットの段差も乗り越えたり部屋の移動も勝手にやってくれるならええけどそうでないなら無用の長物になりそうな気がする、という。

それに産後の大変なときくらい掃除はやるで?と、洗濯の次に掃除が嫌いな夫からのなんともありがたいお言葉!

おお、夫。素晴らしい。それならばありがたく甘えて、ル○バは買わないことに決定した。


昼時、最近気に入っている新井薬師のオリエントスパゲッティでひとりごはんをしていると、

隣の女性二人が家電について熱く語り合っていて、なんと偶然にも、ル○バについて話し始めたのである。

曰く、ルンバはやっぱり音が煩い、家電量販店では気にならなかったけど、自分の家でかけてると煩い、ル○バしてる間はずっとイヤホンで音楽を聴いている・・・

そうなんだ!知らなかった。やっぱりル○バ、辞めておこうっと。


録画しておいたNHKのドラマ「大阪ラブ&ソウル」を見る。

ずいぶん前の放送なのだがずうっと放置していた。

在日韓国人3世の息子の視点から描く、家族やルーツやアイデンティティや移民問題がテーマ。

夫の家族と似ているところがあったり、全然違うところがあったりで、そういう部分からもなかなか興味深く見た。

主人公はミャンマーから政治的亡命で、密航して来日したミャンマー人の女性と結婚しようとするのだが、

その女性の「本当の思い」を、自らも移民として来日した主人公の祖母だけが理解し、「こんなかわいらしい子がかわいそうに、お母さんに会いたいやろう」と涙を流しながら抱擁するシーンがとても印象的だった。


夜、大雨になるかもということで夫が早めに(といっても21時)に帰宅。

うれしい。

ニュース番組などを見ながら、リビングでごろごろする。

お腹見る?ときくと、見る。というので、

お腹を見せたら、しばらくそうっと手を置いたりして、動かないかなあ、まだ動けへんなあ、といっていた。

そうして濃くなったおなかまわりの体毛を「本当に濃くなってるなあ!すごい、人間ってすごいなあ」と感心して見ていた。


医師の山崎宏さんが亡くなったというニュース。

ご冥福を祈る。

12/3(金)

今日から15週。

昨日の夕方くらいから体調が上向いて来ている気がする。


明け方、大雨の音で目が覚める。

久しぶりの大雨。


朝起きて、早朝から仕事部屋で仕事をしている夫におはよう、と言いに行くのが私の朝いちばんの日課だ。

これは妊娠前から変わらない日課。

そうして、寝れた?体調はどうや?と夫はいつも同じことをたずねる。

寝れたよ、とか、気持ちが悪い、とか、夜中に何度か起きちゃった、とか、そのときどきでの体調を伝えるのだが、

昨晩は結局、吐かなかったんだよ、とこたえると、

夫はとてもうれしそうにしている。

こんなこと一度もなかったし、おさまってきてるんちゃう?という。

そうかもしれない。そうだといいなあ。


それに何より、昼時に、ものすごーく久しぶりに「お腹が空く」という感覚を味わったこと。

そう、ここつわりがはじまって以来、お腹が空く、ということがただの一度もなかったのです。

何時間ものを食べなくても。朝でも昼でも夜でも。

ああ、これはもしや本当につわりの終焉が来たということ!?

そうだったらなんてうれしいんだろう!





11/27(土)

昨日、また母から電話がありすっかりと疲れてしまった。

今回は里帰りについて。

前にも書いたけれども、私は里帰り出産も、産後の里帰りをするつもりもなく、また母に泊まりがけで手伝いに来てもらうつもりもない。

もちろん孫の顔はたくさん見てほしいし、産後はなにがあるかわからないので、来てくれるのは歓迎なのだけれども、一般的な「床上げ(3週間ほど)まで実母に泊まりで来てもらう」といういうなことは一切考えていなかったし、

子どもができた段階で、出産は近所に大きな病院があるからそこでするし、産後もこちらにいるから、と伝えてあった。

しかし私のつわり状況を心配した桂のオモニから母に連絡があり、

つわりがひどいなら実家で休んだほうがいいのではないか、出産は里帰りをさせたほうがいいのではないかといわれた、これでは一方的に自分(母)が悪者になってしまうから、ナオからなんとかいってくれないか、というのである。

それにそもそもどうしてナオは里帰りをしないんだ、第一子は里帰りをするのが当たり前だ(そんなことありません)、お母さんは淋しい(い、いまさら・・・)、家には介護が必要なおばあちゃんがいるから(といっても施設に入居しているんだけど)お母さんは東京に行けないから、ナオが長野に来てくれるのが一番いいのに(そんな勝手なことを・・・)、出産するなら弟の病院で出産すればいいと思っていたのに(といっても弟は小児科で関係ないし、まして弟は転勤で通常分娩の産婦人科のない病院に行くことが決まっているし、さらに弟のいる病院から実家まで高速道路で1時間以上もかかる)みたいなことまで言い出した。


ううう、私、この電話の最中だって本当に気持ちが悪いんですけど・・・。


それになんとかいってくれといわれてもなあ・・・。

オモニも母もそれぞれ私を思いやってくれているのはわかるのだが、

いまいちばん苦しいのは私で、お産でいちばん苦しむのも私。

私がどこでなにをどのようにしたいのか、というのがもっとも大事なのではないだろうか。

と思う私はわがままなの?


ものすごく正直にいうと、実家を離れて20年近く、またもともと年に1~2回、それも1~2日しか帰省しない私にとって実家は「帰る」ところではなく「行く」ところ。

さらに母はものすごく歯に衣着せないひとなので、また本人の性格的に、長いこと一緒にいると「もう一生会いたくない」という喧嘩になることは目に見えている。

でもまさか「私は実家にいても落ち着きません、それにあなたにも気を遣うから長い間一緒にいたくありません」なんて言えるわけないし。

(決して母のことが嫌いなわけではないし、尊敬しているところもたくさんある。でもそもそも人格が違うのだから仕方ないと思っちゃうあたり、親子関係がドライなほうなんだと思う)

それにたとえば実家の居心地がよかったとしても、私にとっては夫と暮らすこのいえが一等落ち着けるわけで、

そもそも実家に行けばつわりが治るわけでもないし、産褥期間が短くなるわけでもない。

そんなこと当たり前じゃないか。

とも言えないので、


・・・うーん、お母さんの気持ちもわかるけど、やっぱり私がなにをしたいかが大事なんじゃないかなあ、

それに私は子育ては親子(祖父母とその子ども、つまり父母と私)でするのではなく、夫婦でするものだと思っているし、第一夫は忙しいから、長野では立ち会い出産ができなくなるしねえ、などということをやんわりと繰り返すことでなんとか電話を切ったものの、結局1時間近く話しをしていたことになり、

心身ともに真剣に疲弊した。あああ。なんだか最近、こればっかり。


夫に、今日、母からこんな電話があって、あと桂のオモニからも里帰りをすすめられているらしいんだけど?と一応、相談(報告?)をすると、

そんなの気にせんでええ、ナオがしたいようにするのがいちばんええんやし、第一、里帰りを絶対しろなんていうのは親世代の価値観なんやし、それを押し付けられても困る、ただ本音で答えると大変なことになるから、こちらの気持ちを尊重してほしい、くらいに言っておけばええよ、

と言ってくれた。よかった。夫とまったく同じ考えであることは、わかっていてもやっぱり安心する。


そんなこんなで金曜日が終わり、

土曜日。


やはり体調が悪く、一日に何度も吐くが、

それでも先々週あたりと比べると若干、和らいできたような気がしないでもない。


週末も何やかやいえで仕事をしている夫だが、珍しく今日はのんびりモードだったので、

ふたりでゆっくりとする。

ああ週末っていいなあ!


夕方から夫はフットサルへ。


夜、ものすごく体調が悪くなってもだえ苦しむも

夫が早く帰ってきてくれたのでほうっとする。



11/28(日)

一日いい天気。

朝、夫に手伝ってもらって布団を干す。


午前中はいえでのんびりと過ごし、昼過ぎから昼食がてら散歩。

平和の森公園へ紅葉を見に行く。

週末の公園はさすがにたくさんのひとがいて、

将棋を指す年配の男性グループや広場でピクニックをしたり遊んだりする親子連れでにぎわっている。

ベンチに座り、しばらく夫とそんな景色を眺める。

空が青くて紅葉がきれいでたくさんのひとたちの笑い声が響きあう夢のような場所。

とても気持ちがいい。

子どもができるまでは公園で遊ぶ親子連れは、楽しそうだな、かわいらしいな、という思いだけでどこか遠かったけれども、

あと半年もしたらこの世に産みだされる子がいるのだと思うと

もっと具体的になる。

夫も同じ気持ちのようで、まわりの小さい子たちを見てはにこにこと公園の風景を楽しむ。

幸福な時間、よい休日。


小一時間ほどひなたぼっこをしてからゆっくり歩いて帰宅。

夫は途中でツタヤに寄り、

散歩で疲れた私は先に帰ってしばらく昼寝。


つわりは引き続いているが、

確かに2週間ほど前よりはほんの少しだけ改善しているように思う。

夫はたぶん1日5%ずつくらいよくなってきているんちゃうかな、あと2~3週間でおさまるで、きっと、と励ましてくれた。


先週から、夫が夜、すこし早く帰ってくるようになった。

といっても22時は過ぎてしまうことは多いのだが、それまでの23時過ぎが平均、というのより1時間は早い。

たぶん先週末に、私が、すごくつらい、といってついに夫の前で泣いてしまったことを心配しているのだと思う。

実際、夫が帰宅してから、少しの時間だけでも、今日一日の話しができて、夫の励ましが聞けることは精神安定上、とてもよいように思う。

夫は私が寝てからもずうっと仕事をしていて、起きる前からも仕事をしているのでかわいそうなんだけど。





11/22(月)

長野の母から電話。

明日、突然だけどお見舞いに行くけどいい?とのこと。

本当にいつも急であるが、前日に連絡があっただけまだいいほうともいえる。


母に、それならば申し訳ないのだけれども、うずら餅と茄子のおやきを買ってきてほしい、とリクエストする。

思えば親に何かをリクエストしたのは初めてのことのような気がする。

私は昔からどうも誰かになにかを頼むのがとても苦手で、それは親であっても同じだ。

が、今回はどうしてもどうしても!うずら餅と茄子のおやきが食べたくて、それは地元でしか手に入らないものなのである。

ちなみにうずら餅とは、実家から車で10分くらいのところにある神社で売っている大福のようなもので、耳たぶくらいの硬さの餅にこしあんがほどよく包まれているもの。

子どものころから餡子が食べられなかった私でも、このうずら餅だけは大好物だったのである。

また長野の郷土料理である「おやき」は、家庭や店によって味が全く違う。

私はおやきはあまり好きではないのだが、どういうわけか突然、これまた実家のそばにある、とあるお店の茄子のおやきが食べたくなったのであった。


いくらお見舞いとはいえ長野から来てくれるのに手ぶらで帰すのもなあと思い、

新井薬師の商店街で両親の好きそうなせんべいなどを購入。

ついでにお薬師さんにお参りをする。


桂に送る荷物をパッキング。

先日の赤ちゃんへの手紙のお礼に、絵本と紙芝居を買って入れる。

あとは先日作って冷凍しておいた蒸しパンと新井薬師で買った煎餅など。



11/23(火)

12時くらいに到着するから、といっていた長野の両親、10時半にはもう練馬インターに着いたという電話。

朝食べたものを吐いたばかりだったので少し体調も安定している。よかった。

お見舞い、とはいえトイレに引きこもっている状態も気が引けるし。


今回は車でやってきたため(車を買ったので見せたかったらしい)道に迷った両親を捜しに早稲田通りに出ると、

やたらと派手で目立つ車が向こうからやってきて、一発で両親だとわかった。


ランチはみんなでパスタキッチンへ。

オーナーはお休みだったので残念だったが、いつものホールスタッフの女性がたくさんサービスしてくれてありがたく思う。

両親もパスタキッチンの味を絶賛してくれた。よかった。


帰宅後、母が持ってきた漬物やうずら餅などを食べながらお茶。

数時間して両親は帰って行った。

お土産に買っておいた煎餅と、以前作って冷凍しておいた烏賊明太子キムチ、牛筋の煮物などを持って帰ってもらう。


夜、新井薬師の「五香菜館」へ。

月曜日にたまたま見つけてランチに入ってみたらとても丁寧なつくりで、

今度は夫と行きたいと思っていたのだ。

炒飯と広東麺をいただく。

どちらも丁寧につくってあってとてもおいしい。幸せ。

夫もとても気に入ったようでうれしく思う。



11/24(水)

昨日少しだけよくなっていた体調、また悪化。

つわりめ。

平和の森公園まで散歩に行く。

いつもは12時前後に行くのだが、今日は14時近く。

やたらとちびっこ連れのお母さんたちがいた。

そうか、みんなこの時間に出歩いているのだな。

散歩していて目に付くのは「お孫さんをつれたおじいちゃん」がそこそこな人数いること。

「お孫さんをつれたおばあちゃん」というのは一人も見ないのだが・・・。なぜ?

「お孫さんをつれたおばあちゃんとお母さん」というのは何人かいるのだが。


桂の姉から荷物が届いたよというメールと、

蒸しパンをほうばるチビたちの動画が届いた。

かわいいなあ。


夕方、母と電話。

帯祝の帯を贈りたいといわれていたので、お参りに行く日程を伝えるための電話だったのだが、

母はずうっと別のことばかり話していて、結局私が「ところで私が電話した理由はね」と切り出せたのは1時間近くあとだった。

途中、何度も具合が悪く、察してくれよ・・・とそれとなく気持ち悪そうな声を出してみるのだが全然気がつかない母。まあいつものことなのだけれども。


話しの途中で、私からしたらすごく残念なことを母からいわれ、なんだかなあと思ってしまった。

それは子どもが産まれたら、夫と私のことを子どもたちになんと呼ばせるのか?ということ。

アボジとかなんとかって呼ばせるの?といきなり聞きてきた母に、真意がわからず、

韓国ではアボジとかオモニは少し大きくなってからの呼び方で、小さいときはオッパ、オンマというんだよ、でも私自身はオンマというふうに呼んで育ったわけではないから、どうかなあ、やっぱりお父さんお母さんなのかなあ、まだわからないや、と答えると、

母はすごーく安心したように、オッパ、オンマじゃなくて日本語で呼ばせたほうがいい、だって日本で育っているんだし、たとえばナオたち夫婦が京都の家のそばで生きていくならともかく東京で暮らすんだから、といったのである。

つまるところ、それは私の夫が韓国人で、夫と私の子どもが韓国人と日本人のハーフであることを、隠したほうがいいといっているのとイコールなのではないだろうか。

そこまで強い気持ちで母がいったわけではないこともわかるし、両親は夫と私の結婚を心から祝福している。

そのことは事実なのだが、やはり母の本音のなかでは、韓国人ということがわかると差別されるのではないか、ということを危惧しているのではないかと思う。私の類推だけれども。

以前も、夫と結婚式を挙げる前に、ナオは韓国人になるのか?と聞かれ、国籍を変えるのは面倒だから日本人のままで当面はいる、といったときに、日本人のままがいいよといっていた母。

子どもが産まれたらその子は何人になるの?と聞かれ、確か20歳のときにどちらかの国籍を選ぶんだと思うけどなあ、といったら、日本人のほうがいい、といっていた母。

これらすべてのことを照合するとやはり、母のなかでは、そういう気持ちが・・・母個人に差別意識は全然なくても、世の中はそうじゃないから、なるべく隠していったほうがいいよ、という気持ちが、あるのではないかと思うのだ。

たとえばもしも夫がフランス人やアメリカ人やイタリア人だったら?

たとえばマンマと私のことを子どもが呼ぶ、のだとしたら、そのことを「そんな呼び方をさせないで」なんて親はいわないのではないかと思う。これも想像だけど。


そうしてこういう母の考え方を知ったことは、私にとってはすごく悲しい、残念なことであり、私とは相いれないことであり、

またああ親も年を取ったなあとすごく思う出来事となってしまった。だって母は若いころ、そういう人種や民族差別、部落差別に反対する運動をしていたくらいのひとなのだから。

母の真意はわからない。でもどういう意味でそれをいったのかと問いただしたところで何かになるのだろうか。

私は自分の子どもが、韓国人と日本人のハーフであることをふつうに思って生きて欲しいと思っている。誇りに思うというよりも、自然に、ふつうに。それは何人だったとしても一緒だ。


こんなことを考えていたら全然眠れなくなってしまった。なんだかなあ。


そういえば私はもともと里帰り出産をする予定もなく(何しろ親元を離れて20年近く経つせいかどうか、また私自身の性格もあり、親に何かをしてもらいたいとかしてほしいとか全然思えないのだ。何より親より夫にずっとそばにいてもらいたいのがいちばん大きい)、

産後に母に手伝いに来てもらうつもりもなかったのだが(里帰り出産しない場合は泊まり込みで来てもらうのが普通らしいのだが、かえって気を使いそうだ。夫は仕事がとても忙しいし家事ができないので期待はできないが、世の中には一人で乗り切っているひとだっているわけで、私にだってやってできないことはないだろう)、

こういうことがあるとますますそういう気持ちになってしまうなあ。あああ。



11/25(木)

引き続き体調が悪い。

昨晩はいろいろ考えすぎてまったく眠れず。そのせいもありそうだ。

昼は五香菜館で広東麺(今回は手打ち麺。この店は手打ち麺と手打ちじゃない麺を選べる)をいただく。

どうやら病みつきになりつつある五香菜館。

1時半というランチタイムには遅めの、しかもとんでもない路地裏にあるのに満席。すごい店である。

今回はひとりなので麺を半分に減らしてもらった。

「どう?今日は全部食べられたかね?」とおばちゃん。

ごめんなさい、少し残しちゃった、でもおいしかった。とこたえると、

おじちゃんとおばちゃんがにこにこといつもありがとね、と笑っていた。


食事後、お薬師さんでお参りをし、お薬師さんの裏にある公園でしばし休憩。

さらに中野通りを挟んで反対側にある北野神社を偵察がてらお参りをして帰宅。

偵察、というのは、いよいよもうすぐ5カ月なので、帯祝と安産祈願に行く神社を捜しており、

東京だと水天宮に行く人も多いようなのだが、やはり地元の神社のほうがいいなということで、

私が住んでいるところの氏神様のもとじめみたいな東中野にある神社か、あるいは北野神社かどちらかに行こうかと思っているのである。



11/26(金)

週数計算の初日、やはり日曜日ではなく金曜日で合っていたことが判明。

というわけで今日から14週。

夫と「14週の胎児の大きさ」を見て、大きい!といいあう。


朝からいつも以上に体調が悪い。

午前中はずうっと休む。

仕事部屋で仕事をしていた夫、心配そうに何度か様子を見に来るが気持ちが悪すぎて起き上がれない。


荒療治に行こうかなと夫とパスタキッチンへ。

火曜日にお邪魔したことを伝え聞いたらしく、留守にしててすみませんね、とオーナー。

最近の私の気に入りは和風のスープスパ。今回はそこに野菜をトッピングしてもらい、オーナーにスープは入れますか?と聞かれたのでスープが大好きなのでたくさん!といったら、本当にたっぷりのスープを入れてくれた。いつもありがとうございます。


夫を見送り、今日は哲学堂公園まで散歩してみる。

ずうっと気持ちが悪く、だましだましだがなんとか公園に到着。

しばらくベンチで休み、また引き返す。

往復で5キロ。なかなかよい運動である。


ここのところの気がかりは朝鮮半島で戦争になってしまわないかということ。

戦争はなにもよいことはない。

どうか平和にすべてがすすみますように。







11/20(土)

先週半ばより、吐くときに時折血が混じるようになった。

いまや時折ではなく毎回血まで吐く。

大丈夫なのか?私・・・とさすがに不安に思い調べてみたが

吐く回数が多い人に起きる現象としてはわりとポピュラーらしく、喉や食道が傷ついて血が混じるということらしい。

夫はものすごーく病院に行って欲しそうなのだが、理由もわかったし対処のしようがないし

(何しろものすごくよく噛んだり、吐く前に水分を摂ったりなど対応として出来うることは実施中であり、またお粥とか素麺のようなものばかり食べているのでこれ以上やわらかくならない)

病院に行くのはそれだけでしんどいのでつわりが過ぎるのをひたすら待つことにしている。やれやれ。


夜、フットサルから帰ってきた夫に

あまりにもこの状況がしんどくて、しんどい、と初めて訴えた。

泣きたくないのに涙まで出てしまった。

朝から晩まで気持ちが悪く、一日に何度も吐き、ついには血まで出てきて、それでも終わりがみえないこのつわりというもの。

赤ちゃんがいるのだ、という喜びとは別に、しんどいものはやはりしんどいのだ。

つわりのことばかり考えず、気分転換になるようなことをしたら?というひとがいるけど、それはたぶん、つわりが少なくとも私より、軽いひとなのではないかと思う。

ここまでくると気分転換どころの騒ぎではない。

そういえば夫は決して気分転換してみれば?なんてことは言わなかった。これまでのただの一度も。

今日も黙ってうんうんと、早く終わるとええな、しんどいよな、と聞いてくれる。ありがとう。

そうして夫、とても心配そうである。



11/21(日)

13週目。

いえにある「週数による赤ちゃん等身大カレンダー」みたいなのを夫と見て、

もはやキウイじゃなくてレモンやな、と夫がいいはじめ、

レモンレモンといいながらお腹をさわっている。

そんなわけで今日からキウイちゃん改めレモンちゃん。


ちょっとだけお腹が出てきた気がするので夫に見せた。

妊娠前より体重3キロ減でお腹が出てきたということはきっとこれは赤ちゃん分のお腹だと思われる。

ついでにお腹の毛が濃くなっている様子も見てもらった。

おお、ほんまや!と夫。

そう、妊娠するとひとによって、お腹(おへそまわり)の毛が濃くなったりするらしいのです。

まさかーと思っていたのだけれども、本当に私もうっすら濃くなった。

人間はやっぱりどうぶつなんだなとこんなときに思う。


昼間、夫はツタヤでサスペンス映画を借りてきて、

どうも怖いシーンがありそうだったので私は寝室に退散。

もともと怖い映画が大嫌いな私。


終了後、夫、さっきの映画めちゃくちゃグロかった。見んで正解や、

それになんや救いがない映画でいまいちやった、

といっていた。ああ見なくてよかった。