蒔いた種は刈り取らねば |   荒野に呼ばわる声

  荒野に呼ばわる声

      耳を澄ませば聞こえてくる
                 
                   南山 遥

 蒔いた種は刈り取らねば

 

 「蒔いた種は刈り取らねばならぬ」とは昔から言われた格言だ。

 現代では農業も機械化が進み、多くの一般の人も畑から遠のいているから、この格言は身近に実感しない格言の一つとなった。

 

 だが、最近、「なるほど!」と言わしめる出来事が起きている。

 ある大国が、世界的運動競技の祭典と言われる催し物を開いている。その国は、本当は大々的に国威発揚の場として長年計画していたのであるが、計画はもろくも崩れてしまった。それは他国がいたずらや妨害をしたからではない。

 自ら、「自分が蒔いた種を」刈り取ることになったからだ。

 

 恐ろしいウイルスのパンデミックの確実な兆候を、意図的に世界に発信しなかったからである。隠蔽したからである。

 

 もし、(もしが許されるなら)、あの時に世界に発症と拡大との警告をしていたなら、きっとその祭典は大大成功していただろう。世界も諸手を挙げて支援し、祝福していただろう。

 

 現実は、謝罪をしないどころか、原因調査の協力もしない。その間に防衛力の無い小さな国の領海に度々侵入してくる。・・・

 

 懲りずに、今も種を蒔いている。誰もそれを止めることはできないが、天がその種を刈り取らせる時が必ず来るであろう。私ではない。世界の歴史がそのことを語っているのだから。 南山 遥