こんにちは。
詩人の伊藤菜乃香です。
いつもブログをお読みくださり、ありがとうございます。
さて、
一年のうち、
プレゼントを贈らなきゃいけないと思い込まされている記念日がいくつあるでしょうか。
わたし達はその記念日を祝うことの本当の意味を深く理解しているのでしょうか。
クリスマスをお祝いしなくなった・・・
この話題を取り上げるには
いささか時季はずれではありますが、幼少期から大人になる今まで、
クリスマス会に一度も参加しなかったという人はほどんどいないでしょう。
子ども会や友人や恋人との会食、プレゼント交換などをして、楽しく過ごす時期だという思い込みがありました。
ところが2年前にEden Mediaさんの海外真実考察動画の字幕版を閲覧してからすっかりクリスマスをイベントとしてなにか特別な日と捉えることはしなくなりましたし、散財することもなくなりました。
ぜひリンクからこの動画をご覧ください。
Eden Mediaさんは熱心なキリスト教徒であることが分かります。
決して、キリスト教を批判している訳ではありません。
彼の制作された動画をいくつか見ていると雰囲気でキリスト教信者になったわけではなく、相当深く聖書を読み込んでいるだろうことも分かります。
ここ数年の世の中のおかしさと
報道のミスリード(誤った誘導)と
娯楽番組の人の失敗をあざ笑うという質の悪い笑いや程度の低い音楽がもてはやされている様を見ていて
ほとほとテレビにも嫌気がさして、
電源をいれることもなくなりました。
食生活も菜食になったという大きな変化が起きた現時点から過去を振り返ると、記念日をお祝いをしたいという気持ちも大してないのに、お祝いする理由も深く理解もしていないのに、ずいぶん沢山の記念日を祝ってきたのだな、
祝うっていうか、
散財させられてきたのだなと
実に醒めた気持ちになってしまうのです。
ご馳走と称して、手づかみで骨付きの鶏もも肉に食らいつき、なんて罪深いことを繰り返してきたのだろう、と思うわけです。
恐怖の母の日がやってくる
もう少しで母の日がやってきますね。
わたしはずいぶん母に必要以上に
厳しく育てられてきました。
もちろん、両親にはとても感謝しています。
沢山の愛情も注いでもらいましたが、社会が歪んだ価値観と貨幣経済と受験競争が過熱していく過程に
青春時代をすごしたわたし達世代は、間違った価値観を親から強制され、その価値観にそぐわないならすぐさま、矯正をかけられて育ってきましたよね。
あまりに社会が歪んでいたせいで、
虐待に近いようなこともしつけと称して、いかにも子どものためとカモフラージュされて、かなりのことをされてきました。
それはわたしだけではないと思います。
5月には母の日があります。
それに続く6月には父の日があり、
どういう訳かその日は両親に感謝を強要される日になっています。
まさに、「恐怖の母の日」です。
本当に感謝の気持ちを伝えたいのなら、心のこもった手紙でもよいはずですし、電話で「ありがとう」の一言でも伝えれば良いと思います。
なぜなら最も尊いのは、他への感謝の気持ちが自然と沸き起こってくることで、それを伝えることに第一の素晴らしさがあると思うのです。
そのような気持ちが最高潮になったときに、感謝の気持ちを伝えればいいですし、贈り物をしたいのであれば、各自が自由に時期を選んですればよいわけです。
それなのに、なぜか毎年、同じ時期に記念日はスケジューリングされ、
小売業で仕事をしたことのある人は良く知っているように、日本では記念日がきれいに毎月にちりばめられているのです。
特に、
12月から年始にかけては、記念日が目白押しです。
「クリスマス商戦」などと下品なマーケティング用語があるほどです。
記念日なんて要らない!
記念日が当たり前に贈り物を贈るべき日と、社会常識のようにすり込みをされてはいても、忙しさでタイミングを失し、贈り物をしそびれてしまえば、なぜか罪悪感さえ覚えてしまうほどでした。
その日が近づくと、母からちょっと圧を感じるような電話が掛かってくることも度々あります。
社会常識とされている記念日の贈り物をされる人にとっても、記念日はもし何も届かなかったらどうしようと不安を覚える日にもなっているのでしょう。バレンタインデーにそわそわと落ち着きのない中学生を毎年見ています・・・。
せっかく記念日に贈り物をしても、
「もっと、おいしいものがよかった」
などと心ないことを言われたりして、がっかりしたことも何度もありました
贈り物をするほうからしても、
いわば「強制」と感じさせられ、
贈られたほうからしても、
「押しつけ」と感じさせられるような全国民共通の記念日なんて要らない
わたしは強く思うのでした。
本当に大切なことはなにか、
考えさせられます。
記念日にこだわらず、縛られず、
小さなことにも感謝の気持ちを忘れず、一日の終わりには、
お世話になった人達の顔を思い浮かべて、温かく、きれいな気持ちになってから、眠りにつきたいなとこの頃、つくづく感じるのでした。
伊藤菜乃香の最新詩作品を掲載して頂いた
Nemesis 第九号が先月、発行されました。
以下のリンク先の「ひかるえのぐ書店」にて、ご注文を承っております。
わたしの詩を読んでね