なぜ『おつう』は機織りをしたのか。

物語で、『おつう』は鶴の分身でした。

罠にかかって動けなくなっていたところ『よひょう』と言う若者に助けられてたのでした。

それから「よひょう」の家を訪ねなぜか同居し女房になってしまうスピード婚でしたね。

『おつうは』機織りをして反物を売り家計を助けました。

「見てはいけません」と言った『おつう』の言いつけをやぶり鶴の姿を見てしまい『おつう』は飛び立ちスピード離婚。


「鶴女房」とか「鶴の恩返し」の元ネタはどこなんでしょうか?

唐代の寓話の『鶴氅裒(かくしょうほう)』が元になっているそうです。

古代中国には鶴氅衣(かくしょうい)と言われた鶴の羽を織り込んだ男物の羽織があったらしいです。

それが後に仙人の着る衣装へと変化しました。

襟が黒い羽織物で高貴な身分の方が着ました。

貴族、儒教、道教(道士)、仙人等々です。

(道士)


(儒学者)


鶴の羽を織り込んだ鶴氅衣(かくしょうい)があったことは事実でした。


鶴をはじめ水鳥の羽毛は水を弾くのであったかくて濡れないとても貴重な高級品だったでしょう。


鶴はコウノトリの代用だったのです。

機織=コウノトリ= 女王を隠すために鶴に置き換えられました。


料理の神様磐鹿六鴈(イワカムツカリ)命はカクカク鳴く鳥を見たくて海の中に入ると白蛤を見つけ天皇に献上すると膳大伴部(かしわでのおおともべ)の姓を賜いました。

膳大伴部とは大膳職と言って天皇のお食事を用意する役所なんです。

それは後々につけられた方便で別な意味がありました。

天皇=王族親衛隊(近衛)=征夷大将軍

あれ?

おかしいな天皇を護るのが将軍なのに天皇が将軍?

天皇は皇帝の第一の家来、近くで護る(近衛)なのです。

皇帝の夫(入婿)が征夷大将軍で亡くなると諡(おくりな)として天皇と呼ばれました。

皇帝とは女王様でした。


鶴の羽が織り込まれた羽織を羽織れる人達のルーツは近衛だったのかもしれません。


皇帝(女王)が次の女王の近衛を選ぶのはとても早い時期でした。

皇帝(女王)が娘を産んだ時期に生まれた男児の中で優れた男児に女王様の乳を与えたのです。

乳兄妹になるのが大嘗祭の儀式でした。

大嘗祭の嘗めるは乳を嘗めるからきています。

生まれた時には既に婚約とは、かなり早いと思います。

日本伝統の上下(かみしも)や陣羽織などもルーツは

鶴氅衣の羽織だったかもしれません。



欧州貴族のマントも身分を表していました。



おつうは実はつるではなくコウノトリでした。

コウノトリは織姫で羽が織り込まれた羽織を着たのは許嫁(いいなずけ)だった?

鶴女房はハッピーエンドだったのかも。