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秋田フォーラス にあるショップの店員をしていた[1] 所を2005年・集英社の「ヤングジャンプ ギャルコン」のスタッフが偶然見かけ、スカウトを試みる。そして店の店長に相談、承認を取って写真撮影に至り、初代グランプリを受賞することとなる。なお、そのときの店長は現在、集英社で専属スタイリストをしている。

翌年には、ギャルコンスタッフの薦めで「プリンセスPINKY オーディション」を受け、グランプリを受賞。事務所を決める際には10数社からオファーがあり、集英社側が責任を持ち、各事務所と面接を段取り。ヤングジャンプ愛読者だった当時のマネージャーの熱意により、所属となる。

その後、ショップ店員を辞め、上京する際に地元の友人から送別会をしてもらい、友情の証しとして『リング』などをもらっている。集英社として初の二冠達成(ギャルコングランプリ・プリンセスピンキーグランプリ)を果たす。2007年7月号で、憧れのモデルである鈴木えみ と初表紙を飾り、2008年の3月号では、初の単独表紙を飾った。

映画『ハンサム★スーツ 』で、女優デビュー。日本テレビ系火曜ドラマ神の雫 』で、連ドラ初出演を果たした。

2009年3月に、翌年度の日本雑誌協会キャンペーンキャラクターに選出される。これは、前年限りで開催を終了した、同協会主催の「ゴールデン・アロー賞 」にて、日本雑誌写真記者会が選考するグラフ賞受賞者が務めていたものが継続した形となる。

ティニーシャ・ケリー のファースト・アルバムでは、佐々木からのラブコールによって、ティニーシャと共にアートワークの共同制作を行なった。

2010年よりPINKYの休刊に伴い、non-no の専属モデルとなる(2009年11月17日付ブログより)。