しんどいです。ひとことで言うと。まあ、結構、相当な距離ですからね。
【撮影日:2025/5/5】
【今回の行程】
11:44 仙人隧道前出発
12:12 隧道 終了 ~12:20出発
13:20 釜石鉱山資料館 ~14:00
14:10 陸中大橋駅 帰着
(本文ここから)
仙人隧道の写真を撮り忘れました。
仙人隧道は仙人峠を道路で抜けようと掘られたトンネルです。
2.5キロあります。長いです。そして暗いです。
普通のトンネルよりもなぜか明かりがすごく少ないのです。
何度も真っ暗でひんやりしたエリアを通ります。景色も変わらないし。
これってけっこう、人間にとってしんどいことなんだなあと、めちゃくちゃ痛感しました…( ;∀;)
ようやくトンネルを抜けると、安堵しました。
しかも5月だというのに、桜が咲いています。
さあ、これをこれから徒歩で下っていくのか…。(*´Д`)
あとでgoogleマップで調べてみたら、4.5キロほどらしいっす。
なんか、すっごく遠く見えるんですけど…。
しばらく歩いて、後ろを振り返りました。
さっきの駐車場の他、けっこう山の中でも桜が咲いているのですね。ちょっとホッコリ……(*´▽`*)
しねえよお!!!!遠いよお…着かないよお…( ;∀;)
ああ、あの橋。あの橋を渡らなきゃなんないんだ。あの橋は「仙人大橋」。ループ橋のようになっています。
この先を右に折れてあの橋を渡ったら、道なりに高度を下げ、次にあの橋の下をくぐります。
詳しくは地図を見てください。
さあ、道なりに歩いていきますと、こんなもの見つけました。
この辺の山肌…、道路が通る前にこんな線路もあったとは…。
この当時、もちろん釜石線は開通しておらず、どんだけ仙人峠が難所で
東西の交通を妨げていたのかを物語るものですなあ…(*´Д`)
そして、仙人大橋が近づいてきました。崖の両端に橋げたをかけているので、コレは…施工が難しかったはずですよ…
知らんけど。
そして、渡ります。落下防止に金網がついています。次はあそこを歩くわけです。woops!(*´Д`)
そして、道に出て、下がります。嗚呼、山がキレイだ。桜がさいているyo!
折り返し地点で、砂防ダムがあったyo!!!水が出ているYO!!!!
実にきれいな水。
そして案の定、橋の下をくぐる…。
いや、いいんすよ。
仙人隧道の前に5時間弱歩いていなければ、このくらい、
なんてことないっすよ。(*´Д`)
そんでもって降りてくると、こういう標識が…。いっちょ、見学してみますかね。
近づいてみると、こんな山肌が…。マジすか。
明らかに、加工したような山肌。
あとで、資料館で聞くと、これはやっぱり、鉱山の作業所の跡なのだそうです。
詳しくは、資料館に行ってみてください。(*^▽^*)
さて、資料館に来ました。この辺一帯は鉱山だったそうです。そんで、このふもとに事務所があって、その跡が、いま、当時をしのぶ資料館として展示されておるようです。
入場料(大人300円)はありますが、微々たるものです。見学の価値は十二分にあります。
なにしろ、中が、「昭和レトロ」ですからね。実にタマラン!!!!(*^▽^*)
いや、ちょっと、コレ、今は見られないアイテムばっかですよ…(*´▽`*)
(ワタシ、ナニのマニアなんだろ…???)
▲和文用のタイプライター。「いや~~これは、知らんわ~~(*´Д`)」
「見たことあるわ~~~WWW(*´Д`)」
係員さんがやたらにいろいろ詳しいので、話しかけて、いろいろ聞くのがおススメです。
絶対入場料以上のプライスレス!!!
パネエ(*´Д`)
何より、私が一番聞きたかったのは、この土地の歴史。
ここ釜石の奥地は江戸時代から鉄の原料となる鉱石が採れることで有名だったそうです。
明治・大正を通じて、富国強兵を目指す国としてはここの鉱山を大規模に開発して一大工業都市にしたそうですが、
残念ながら外国産の鉱石に押されて、閉山の憂き目に遭いました。
それでも、1993年に完全に閉山。つい最近のことのように思えます。おっさんには。
この辺の山一帯で、鉄や、銅。その他色々な鉱物資源が取れたそうです。北上山系っていろいろ鉱山が豊富ですよね。
盛岡の大ケ生や、紫波の佐比内金山、陸前高田の玉山金山など、金山跡って多いっすからね。
で、こんな採掘機でガシガシやってたわけですね。なんか昔の漫画で見た記憶があります。
当時の器具が展示されています。すごい音量なので、耳当てなんかが必需品だったようです。
おお、「となりのトトロ」なんかで出ていた昔の電話ですね!!!
なつかしい!!(私は使ったことないよ。言っておくけど(*´Д`) )
もちろん、目を引くのは「仙人峠の歴史」
遠野の平野部と山中の鉱山と港町をつなぐ道路はいつまでたっても完成せず、近年まで徒歩に頼っていたわけです。
明治になると、何が何でも、ここに鉄道を引きたい!となるわけですが…仙人峠の厳しい山がそれを阻むわけですねえ。
昔は遠野側から峠まで索道(ロープウェイ)が通っていたらしいです。その跡が今でもあるというのですが…、
今回は見つかりませんでした。
また、その時代にも「駕籠」があったらしいです。運賃で揉めることが度々あったそうですが…。
1959年にはトンネルができたそうです。今回30分近くかけて通ってきたやつですな…(*´Д`)
そんで、当時の鉱山はすごく賑わっていたそうです。まるで軍艦島みたい…。
さて、外に出ました。
陸中大橋駅まではあと少しのはずです。
(この辺だとスマホの電波が入るようになる)
コンクリートの廃墟があります…。これは…???
どうやら、病院の跡のようです。
ここから陸中大橋駅までの途上はかつての鉱山街の跡らしいです。
むなしいものです。いまは更地で、何もありません。
わずかに礎石が残るのみです。
かつてはここも車の重量を計る場所だったのでしょう。
この、桜のさく平地も…
かつてはスーパーがあったようです。
人でにぎわっていたようです。
今では駅の周りにわずかに人が残るのみです。
この「陸中大橋駅」も消えゆく集落の一つになるでしょう。
仕方のないことです…。
(おわります)