日交と日交

現在、京都府内を走るタクシーの台数は9,000台前後である。
ヤサカ・エムケイ・都・洛東の四天王を頭に、多数の事業者が連日旅客の争奪戦を繰り広げている。
今年は明星・京聯の大手2社が事業を廃止した中で、新たな刺客が登場して話題になっている。
それが、過去にカンブリアで話題になった東京の日本交通である。

この6月に三菱タクシー→未来都が東京・日本交通に事業譲渡し京都にやって来たのである。

東京の日本交通は川鍋秋蔵が1928年4月に1台のハイヤーで創業し、翌年に銀座木挽町において「川鍋自動車商会」を創設したことから始まる。その後は会社組織を変えつつ事業規模を拡張していくが、一貫して「お客様への誠実とサービス」を経営方針の第一としていた。なお日本交通の創業年数は、川鍋秋蔵がハイヤー営業を開始した1928年4月から数えている。
現在の日本交通に改称されたのは戦後間もない昭和20年である。


いっぽう楕円に「日交」の日本交通は大正末期に鳥取で澤春蔵による澤タクシーを創業したのが発祥である。現在の日本交通となったのは昭和41年、大阪までのバスを走らせ始めて以降である。
関西から鳥取に行く高速バスが有名だが、タクシー事業を京都に進出させたのは昭和39年のことである。(当時はサワタク)

いずれも四天王に比べ絶対数は少ないが、京都駅などでは桜と楕円が出会う事も少なくないようである。