祖母との同居を始めた時、周りの方々が、負担になるのでは?とたくさん心配してくださいました。
ですが、心配してくださる方の中にも、祖母が私たちの家に本格的に居座ったらどうするつもりなのか、などと祖母が負担で重荷で邪魔になるだろうに、という考えの方もいらっしゃいました。
確かに、考えていたよりも大変な事はたくさんありますし、もし祖母が不老不死でいつまでも笑っていてくれたなら経験しなかったであろう大変さはあります。
でも、私たち一家は祖母が邪魔だとは考えもしませんでした。
父や母も祖母の同居をプラスなものと考えました。
具体的にどうプラスに考えたはわかりません。
私は、言葉の使い方が上手な祖母と同居することで自分の経験値が上がると考えていました。
育った時代も環境も言葉も考え方も全く違う祖母と同居すれば得られるものが大きいと考えていたのです。
しかし、時々不安になってくるのは、そんなに自己中心的な理由でいいものか?!ということでした。
それこそ、人間のもつ醜悪さの極みである無明の表れではないか!!!
と。
ですが、今まで読んできた本や、聞いた話を思い出したら、元気になってしまいました!
どう考えていようが、プラスに考えているんだからいいのだっ!
と。
無明や小我は人間ならば誰でも内包しているもの。
人間は自己中心的な考えや打算的な考えをしてしまうもの。
と割り切っている哲学者を見ていたら、大丈夫だと思えてきました。
哲学者たちは人間のもつ醜悪な一面を認めつつ、こうも述べています。
自己中心的な考えを薄めなくては、人は物事を美しいことや素晴らしいことと捉えられなくなる。
美しい、素晴らしい、と感じる基準は人の心にある。
自己中心的な考えをしていれば基準も自己中心的なものとなる。
ですから、自己中心的な考えの自分を責めすぎず、一方で自己中心的な考えを薄める努力をせねばと思います。
奈々代