春を思う頃 | 名無しの唄

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荒んでいた。
思春期が反抗期と重なるってことが実によくわかるような態度を示していたと思う。
何が嫌いであるかをもとに自分の居場所を認識しようとしていたのかもしれない。
時に自分のことだって嫌いになったりもした。
それが思春期だ。
だけど不思議なものだ。
早く大人になりたいとは、次の自分になりたいとは、あまり思わなかったのだ

目立った夢や差し迫った恋が無かった頃だったからかもしれない。
自分の位置は如何に平面上を右往左往しようとも、突き抜ける時間の軸の上では今此処にしかないと言い張っていた。
今此処において、冬には冬の過ごし方があるのだと、頑なにそう思い続けようとした。
嫌いだって言っているのに。悪口ばかりが思いつくのに。

何を知っていたわけじゃない。
自分を知っていたわけでもない。
だけどそれでも、知ろうとすることを知っていたのかもしれない。あるいは、知っていかなければならないということを知っていたのかもしれない。
その先や外とか、逃げ方を知らなかったからというだけでは説明のつかない衝動があったのだと思う。
意地や意固地がそれというなら、特に否定する言葉は見つからないかもしれない。

だけどそれでも、衝動は希望になって、行動は未来になった。
大した夢もかなえずに、大切な人も作らずに、それでも生きていたいと思う、その向こう側を手に入れたのは、多分春を思わない冬の過ごし方を実践していたからなのだと思う。

少年の生を通り過ぎるとき、通り過ぎるだけではないということを知っているままで、大人になっていきたいと今は思う。