2019年、応援して下さった方、関わって下さった方、ナナちゃんを知ってくださった方、心からありがとうございました。

すっきりした状態で新年を迎えるために、今年中に、私の中でつらかったことを話しておきたいと思います。
最後まで読んで頂けたらうれしいです。

私は去年、最愛の父を癌で失いました。 

昔から「奈々はほんまお父さんにそっくりやね〜」とか「奈々はお父さん大好きやな!お父さんっ子やな〜」と周りからよく言われてきました。

ほんとに仲良し親子で、大学生になっても父と一緒にカラオケに行ったり、居酒屋で飲んだり、釣りに行ったり、毎日電話するくらい大好きでした。

そんなある日、父からいつもとちがうトーンで電話がかかってきました。
「奈々、落ち着いて聞きや。お父さんはな、実はいまステージ4の末期の癌なんや。余命3ヶ月なんや。」
ショックで言葉を失い、頭が真っ白になって床に崩れたことを覚えています。

私は、まだ現実を受け入れていない状態でしたが、とりあえず父に会いたいと思い、入院している長崎の病院までお見舞いに行くことを決めました。

ですが、私は東京を拠点に活動しているため、父が入院している長崎まで往復することは、簡単なことではありませんでした。

「長崎まできたらお金がかかるから、お見舞いはこんでええって。奈々、無理すんな。」という父の言葉を何度も振り切り、毎週お見舞いに行きました。
5時間かけて病院にいって1時間もしないで東京に帰らなければいけない、そんな日もありました。

でも私は父と1秒でも一緒に過ごしたかった。自分が行けるギリギリまで、父に会いに長崎まで通い続けました。

病院に協力してもらい、慰問としてものまねショーをやらせて頂くこともありました。
病院内でのライブをする当日。ライブが始まる直前まで、抗がん剤で苦しんで横になっていた父が、私のライブが開演する時間になった途端「よし、見に行くぞ」と元気になって起き上がったと、看護師さんから聞いたときは本当に嬉しかったです。

病室で交わした言葉があります。
「9月にナナちゃん単独ライブやるから元気になってまた見に来て!」
「わかった元気になったら見に行こう」
ですが、単独ライブの約1か月前に、父は58才の若さで天国へ旅立ってしまいました。

これ以上ないくらい辛い現実でした。
哀しくて、寂しくて、どうしようもなくて。何をしても楽しめない。明るく振る舞うなんて不器用な私にはできない。ライブしてる状態じゃない、すぐ泣いてしまって歌えない、そんな精神状態になるくらい、私の心はボロボロでした。

でも、私の周りにはたくさんの仲間がいました。そばにいて話を聞いてくれる友達がいて、一緒に悲しみを乗り越えようとしてるお母さんがいて、ライブに来て応援して下さるお客様がいて、一緒に夢を追いかける仲間がいて、ひとりじゃないんだって何度も感じることができました。

周りのあたたかい方々のおかげで、芸人ナナちゃんはいっぱい守られて、いっぱい救われて、ここまで元気にやってこれました。

完全に乗り越えることができた、と言ったら嘘になります。全然乗り越えていないし、ほんとは父に会いたいし、話したいし、抱きしめたい。でもそれはもう叶いません。

ナナちゃんは、この1年間で強くなりました。
来年もより良いショーを皆様にお届けすることがことができますように。
これからも全力で走り続けようと思います。

父と交わした夢を、いつか叶えることができますように。想いを込めて。

応援して頂けたらうれしいです。

2020年が皆さんにとって素敵な一年になりますように。

2019.12.31
森高千里さん大好きものまね芸人ナナちゃん