幼少期.9 【電車通い その2】 | 舞踊家 菊地尚子のブログ

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つれづれつらつら。


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コンクールなど辛い練習の時、先生の前で泣かないと決めた分、
帰りの電車の中でも必死に堪え、
地元の駅まで迎えに来てくれている母の顔を見た途端涙するという日々が続いていたある日、
私がいつも稽古中に着ているチョッキの内側に、母がお手製のお守りを縫い付けてくれました。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん達、みんなここから応援してるから」
というお守りでした。

物覚えも悪く、先生から言われたこともすぐに出来ないタイプの私は、
時には手をピシャッと叩かれたりしましたが、
もっと昔は北井先生はもっともっと怖かったそうなので、
「これぐらいのことで!」と自分自身に言い聞かせ、
涙が出そうな時は、その胸のお守りをギューッと握って踏んばっておりました。

コンクールの稽古のある日は朝から緊張し、学校が終われば急いで帰り、
そして地元の駅でまずオロナミンCをグイッと飲み、
買ってもらったウォークマンで何回も何回も音を聞いて、
イメトレをしながら電車に乗っていました。

一番辛い時期の2月には、車窓にあらわれる広大な梅畑に花が一斉に咲き、
コンクール近い3月に、民家の庭から空に向かってモリモリと咲く山コブシを見ては、
「よし!がんばろう!」と元気をもらっていました。
今でもその真っ白な山コブシの花が一番好きで、
その当時の色々な気持ちも同時に思い出されます。

コンクールが終わってホッとする5月あたりに、
乗り換えのホームには毎年沢山のツバメが巣を作り、
ヒナがかえっていました。

それらの風景を毎年毎年見続け、時には本を読み、考え事をし、
今思うと独りで電車に乗っている時間というのは、
意外に私にとっての大切な時間になっていた様に思います。
今私にとってその時間は、一人でスタジオまで車を運転している時間だと思います。
車の中で作品が出来る事が多いです。

そんな電車通いをし続けているある日、
ずっとどうしても気になっていた事があり、母に勇気を出してお願いしました。
「駅の中におそば屋さんがあるんだけど、どうしても食べてみたい」

いわゆる立ち食い蕎麦が乗り換えのホームにあり、
そこを通る度におつゆのとても良い匂いがしてくるのでした。

たぶん、一瞬母もゲゲゲっと思ったと思います。
最初は反対されましたが、私が強情にお願いしつづけたのか、
ある時ようやくOKがで、サラリーマンのおじさん達に交じって
カウンターでウドンをすする事が出来ました。かけうどんです。
小4ぐらいだったので、その風景はさぞかし滑稽だったと思います。

お稽古後だったからお腹も減っていたのでしょう。
ものすごーく美味しいと思った記憶があります。


とにかくお稽古量がハンパ無かった上に、コンクールの練習もあり、
クタクタになって帰ってくるのですが、
電車が地元の駅に着きドアが開いた途端に、
私は改札を目指して超ダッシュで階段を駆け下りておりました。
どこにそんなエネルギーが余っていたのか分からないのですが、
迎えにきている母に早く会いたかったのです。
毎回一番で改札を通っていました。

そのうち、電車通学している私立の男の子三人組が
改札までのダッシュに加わる様になりました。
乗り換えの駅で、やつらがいる!と私もちらちらと確認し、
まずは階段に近いドアの位置取りから戦いは始っておりました。
そして、地元の駅に着いたと同時に、4人で駆け出し、
階段を3段飛ばしぐらいで駆け下りておりました。
今思うと、とんでもなく危なかったと思います。

かなりの良い勝負だったので、時には負け、時には勝ち、
そして改札を出た後は、ちらっとお互い一瞥を送るだけで去っていくのでした。

そんな名も知らない子達との競争も、駅のツバメたちも、車窓から見える梅畑も、
私が年をとり通う時間が変わって夜だから見えなくなったのか。。。
胸にお守りのついたチョッキも、
いつの間にか、なくなっていました。