またまた行って来ました。池袋 東京建物Brillia HALL
広島旅行の記事を書いていたら、どんどん記憶が零れ落ちそうなので、中断して
観劇の記事を書きますが、それでも、もうかなり記憶が危ない感じです。
もうすでに二回観ました。
一回は、二階から、二回目は一階でしたが、見え方がかなり違いました。
もしかしたら、二度目までに進化したのかもしれませんが、
二回目は、すごくよく解りました。
シャルル・アンリ・サンソンというのは、ちょうどフランス革命(1789年から1799年)が始まる少し前から死刑執行人になった男です。お父さんが引退したころは、まだ剣という刃物で首を切り落とすという事が行われていて、失敗すると、罪人を苦しめる事になり、シャルル・アンリ・サンソンは、苦悩していた。
サンソンが司法省から授けられていた剣は、刃渡り4ピエ(130センチメートル)、柄の長さ10プス(27センチメートル)で、鐔元に近いところに「正義の剣(Épée de Justice)」と彫られていた。
日本刀の一般的な刃の長さは約70cm、柄まで含めると約95cm
刀剣博物館で見ましたが、日本刀は、切るのに適しているが、西洋刀は、突くのが主で、切るのには、あまり適していないようでした。
そんなのを振り回すのは、よほどの剣の達人でもないと大変だったのではないでしょうか。それなのに、十代からやらされていたなんて、と思いますが、お父さんの方も、そんなお仕事で腰をやられたようです。
舞台は、サンソン(稲垣吾郎)が侯爵夫人から訴えられる場面から始まります。
フランスだけは、死刑執行人と言えど、普通の市民と同じように過ごしていたようで、食事をする場所で手招きされて一緒に食事をしたところ、死刑執行人と解り、
騙されたと裁判を起こされたのでした。
サンソンは、国から任されて死刑を行っているだけで、軍人が人を殺すのとどこが違うのでしょうと自分の弁護をする。
父親の代理で父親の友達の処刑をするシーンは、インドでのイギリスとフランスの戦いに敗れたという責任を取らされての罰ですが、植民地戦争なのでしょうか。
問題はそこではなくて、サンソンが剣で処刑をする時に、罪人の希望を聞いて髪の毛を切らなかったために、剣が滑って切り損ねたところで、サンソンは、そういう失敗をしない方法を考え始めるというエピソードです。
サンソンが正式な死刑執行人になった(1778年)少し前、ルイ15世が亡くなり、ルイ16世(大鶴佐助)が19歳で即位します。ルイ15世も無駄使いをしたようですが、ルイ16世の時代に財政が苦しくなるみたいですね。
父親殺しの罪で八つ裂きの刑と宣告されたジャン(佐藤寛太)を友達が救いに来た時の事です。
チェンバレン職人で、のちにギロチンの製作にかかわるトビアス(崎山つばさ)とのちに議員となってフランス革命にかかわるサン・ジュスト(池岡亮介)が友達を率いて助けに来ます。
サンソンは、騒ぎの中ジャンを逃がす事にします。そこで今まで死刑を娯楽のように楽しみにしていた市民たちが、その中心人物を助けるような行動をすることに時代の変化を感じます。
フランスでは、死刑執行人は世襲制で、しかもサンソン家は、まじめな一家のようで、罪人といえど、できるだけ痛くない方法で死刑を執行すべく人体のことも研究していたため、執行がない時は、医者のような仕事も担っていたようです。
中々腕がいいらしく盛況です。
そこでギロタン(田山涼成)という博士と知り合いになり、そもそも剣を使った死刑に疑問を持っていたサンソンと死刑のやり方について話し合うようになります。その時にトビアスとも知り合っていたのでギロチンの製作に協力してもらいます。
ナポレオン(落合モトキ)は、裁判で堂々と自己弁護をしたころから、サンソンを知り、たびたび出会いがあります。助けられたこともあり、サンソンは同じように国に仕え、正義のために戦っていると思っているので、のちのち頼ろうしてしまいます。
ナポレオンは、こうやってフランス革命の中、自分の位置を徐々に高めていったのですね。落合モトキくんは、ナポレオンにしては、背が高いですが、声が低くて、一癖ある感じがいいです。
市民の力もだんだんに強くなり、市民も第三身分として議会に参加できるようになります。ロベスピエール(榎木孝明)は、その中心的な人物となりますが、サン・ジュスト(池岡亮介)と共に活動をします。舞台では、ロベスピエールは、最初、死刑反対をしていたというので、サンソンも頼りにしていたのですが、その頃から、サンソンに対して上から目線の態度なのですが、サンソンは人を疑うところがないのか、頼りにしてしまっています。
そういう関係性とかが握手をする時なんかでよく感じられます。
ところがギロチンが出来てからは、次々にフランス革命を成功させるためにギロチンに罪人(フランス革命の犯罪者)を送るようになり、疑問を持ち始めます。
この舞台は、フランス革命を舞台にした映画や、漫画を知っていると、ほぼそのとおりなので、解り易そうですが、残念ながらベルばらとか観ていないので、あくまでも映画とかの知識しかなく、舞台での一言一句聞きそびれると歴史の解釈が出来なくなりそうなので、集中して観劇しました。
これは、脚本の中島かずきさんが、短い時間の中に必要なエピソードを入れていて解り易くしていると思います。
舞台セットも白井さんの演出らしくよく考えられていて、感心しました。
けっこう、単純そうな装置や、人の立ち位置が複雑に動くのが好きです。
照明の使い方は、二度観ましたが、二階席の方が効果的だったように思います。
東京建物ブリリアホールは、ちょっと傾斜が少ない感じがします。一階だと客席に近いところに立たれると前の人の頭でちょっと見づらいですし、場所にもよるのかもしれませんが、ちょっと暗めです。
吾郎ちゃんは、一階から観た方がカッコよく見えます。横顔がきれいです。あと、本人には関係ないかもしれませんが、髪の毛が波打っているのが好きです。
貴族の女性たちのドレスも好きなのですが、一階だとちょっと地味に見えるみたいです。旗を振るシーンも好きですよ。つい「レミゼラブル」の歓喜の歌を歌いたくなってしまいますけれど。
あと、処刑シーンは、二階の方が本物ぽかったのに、一階で観た時の方が、ぞっとするのは、照明の関係でしょうか。
ルイ16世の処刑のシーンは、大鶴佐助くんが、淡々としているのが、もう生きていない感じがして切なかったです。
「マリー・アントワネット」の方の物語が知っていて、民衆側と言えば、「レミゼラブル」で、この舞台はフランス革命を第三者的に見られて面白かったです。
一回目に観た時は、始まる前にプログラムをグッズ売り場が混んでいて買えなかったので、人名のセリフが聞き取れずに苦労しましたが、二回目は、始まる前に、キャストの名前を叩きこんでおきましたので、とてもよく解りました。
死刑執行人の物語なんてどうなんだろうと思いましたが、他の国ではともかくフランスでは、血に染まった仕事として嫌われながらも、サンソンの人格で大事にされていたようです。そういうところもちゃんと舞台で描かれていたので、演劇として成立していましたが、このキャスト&スタッフは、とてもいい感じですので、次は自分の心情的に楽しい演目の舞台を観たいものです。
でも、この舞台、やればやるほど、進化しそうなので、大阪公演、松本公演では、どんなになっているのでしょうね。





