この映画を観てから、書きたいことが山のようで、毎日ブログを開けては、書いたり削ったりしていましたが、書き終わることがなかった時に、上記のブログを見たら

ストーリーや映画に関しては、ここで大体言いたいことを言ってくれているので、

ここから後は、自分のことになってしまうかもしれません。

 

 

祖父が映画監督だったらしいですが、私が生まれてまもなく亡くなりましたので、

特に何も聞いていませんし、そのことを知ったのもかなり後になってからです。

しかし、同居だったので、映画の小道具のような変わったものもあったのは、確かですが、姪が日本舞踊を習っていたので、そういう時に使ったものなのかもしれません。幼い頃に引っ越しが多かったこともありまして、さだかではありませんが、妙に古めかしいものがすごい量あったりしましたが、多分、母が引っ越しの時に捨てたのでしょうね。小学生くらいになった時にそういうものを見た記憶はありません。

 

しかし、父はカメラが好きで、8mmカメラの編集は手伝わされた思い出があるので、サミーが編集をしているシーンは懐かしかったです。

父はもちろん、私も弟も映画と関係ない仕事だったのですが、私の子供たちが映画館でアルバイトをするようになってから、父から祖父の昔の写真など見せて貰いました。

 

この映画で面白かったことは、

サミーがユダヤ教の家族で、クリスマスでご近所がみんなライトアップしているのに、自分の家だけライトアップしていないと言う事や、クリスマスがなくてハヌカというお祭りがあるということ。まだまだ知らないことがいっぱいです。

ユダヤ教の家族は母親がユダヤ教だったら、ユダヤ教になるとかいいますよね。で、大家族で。お父さんは、元々はユダヤ教ではなかったのでしょうか。彼の親族はほとんど出て来ませんし、彼の仕事のキャリアアップで、引っ越しをよくします。

ユダヤ人の多いコミュニティにいないようで、高校では、ユダヤ教徒と言う事や、見た目が小さい事でいじめられます。

 

ところが高校の時に知り合ったキリスト教の女生徒モニカに興味を持たれて、付き合うようになります。

モニカの部屋はアイドルとキリストがごっちゃまぜでピンナップされています。

 

これも私は、幼稚園がキリスト教だったので、自分の部屋の中にキリスト様やマリア様を貼っていました。一日のうちに朝晩と食事の時に長いお祈りの時間があって、その上、祖母が朝から仏壇に向かってお経を唱えさせるので、幼稚園だけで、濃厚なキリスト教は卒業ですかね。子供ですから、早く遊んだり、食べたりしたいですものね。

 

お母さんは、ピアノは、職業だったのでしょうか?とても上手ですし、お父さんは、彼女の芸術的な感性も含めて大好きだったようで、彼女のピアノを聴いている時の表情は、幸せそうですね。家族でピクニックに行った時も、お父さんは、彼女が嬉しそうにしているだけで幸せで、お母さんをまぶしそうに見ています。

彼女もお父さんとの生活に満足していて、お父さんの親友のベニーも兄弟のようにいて当たり前の世界だったのかと思います。

これは、私の願望かもしれません。ご覧になった方の中には、この頃から、三角関係だったじゃないかと言われる方もいるかと思いますが、サミー少年も不確かだったので、どちらでも取れるような描き方なのかもしれません。

 

この映画を観て、自分も子供の頃、何回か転校をしましたが、いじめられたり、なじめなかったり、なんとか合わせて行こうとしたことなど思い出しました。

サミーの場合は、ユダヤ教とキリスト教と解り易い違いでしたが、

ほとんどの場合、環境の違いって、もっと些細でいながら、どこまで踏み込んでいいのか解らないこともあるのではないかと思います。

 

今、思うと恋愛に関して遅れている地域から、すごく進んでいる地域に越したのかもしれません。

未だにはっきりとは、解りませんが、異性に追っかけられるのは、もちろん、同性もオープンで寄ってくるような地域でした。

転校生で勉強で遅れていたので、それを克服するのに、一生懸命だったので、

当時は、あまり気がつかずにいましたが、小学生のうちからカップルとか多かったように思います。それまでの学校では、全く気にしなくていいような事を気にしなくてはいけないようだったと思います。

 

当時、転校した学校では、公立のレベルが高かったので、公立中学に行くのにも勉強をしておかないとついて行かれないと言われたものですが、

自分の子供の時に中学は私立志向が強くて、2月1日に授業にならないほど大勢が受験でお休みするのに、びっくりしたものです。

 

サミーは、いい学校に転校したのでしょうね。卒業間近の"おさぼりデー"というイベントで、撮影を担当することになりますが、前出のモニカのお父さんから、すごい機材を借りて撮影できたりします。

それまでもカメラが進化するたびに新しい機材や、編集の機械を与えられるなど、恵まれた環境のように感じます。

 

環境の違いと言えば、お母さんもこの地になじまなかったのか、大好きなピアノも荷ほどきせずに、無気力になっていきます。

ネタバレになるかもしれませんが、

 

 

お母さんは、お父さんと別れてベニーのところに行きますが、本当にベニーで良かったのでしょうか。

頭が良くて優しくて、家の修理もすぐにやってくれるお父さん、

「絶対にわかれないわ」と言っていたのに、ベニーのところに行ってしまいますが、

地域的なもの、宗教的なものだったのではないかとちょっと頭をかすめます。

 

そして、お母さんに一番似ていると言われているサミーだけがお父さんとロスに残りますが、お父さんよりの妹たちは、どうなったのでしょうか?

 

その後は、スティルバークの映画で見せてくれているのか、これから見せてくれるのか、解りませんが気になるところです。

 

映画の内容にあまり触れませんでしたが、

ポール・ダノが、随分に年の入った役をやっていたので、つい注目してしまいました。今までのダノとは、違う感じですが、ミッシェル・ウィリアムズとか、セス・ローゲンなど、自由度の高い人たちの中でちゃんとしまった細かい演技を見せていて

期待を裏切らなかったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カメラを持たされたサミー少年は、妹たちや友達を使って、動画を撮っていきます。

あの友達の中からは、演劇に興味を持った子とかは出なかったのでしょうか。

かなり本格的に役になり切っていましたね。

 

優秀で優しいお父さんと芸術的な感性を持ったお母さんの間で、豊かな少年時代を過ごしたようです。

理系の頭を持ったお父さんと芸術脳で感性で生きているお母さん

理想的なカップルのようですが、よりお母さんは感性が強く、お父さんは

理詰めな感じでしたね。

お母さんが弾くピアノの側で幸せそうなお父さん。至極の時間のようでした。

お母さんが聴かせて幸せを感じる人だったら良かったのかもしれませんが、同じように発信する側が良かったのかもしれません。

お父さんは、出来たもの完成したものが好きで、一緒に携わるタイプではなかったようです。サミーの作った映画は評価したものの、映し出す機械の方に興味を持つタイプだったのかもしれません。

 

一度、ニュージャージー州の中でも引っ越していますが、お父さんの仕事でのパートナーであり、親友のベニーも一緒に引っ越します。そこでは、それほど環境の違いもなくむしろ、サミーの撮影によって、ますます家族の絆が養われた頃かと思います。

ボーイスカウトに入っていたサミーはそこの友達と一緒に西部劇を作ったりして楽しい日々だったようです。家族の記録映画と一から作られた映画、お母さんの母親が亡くなった時にもお母さんを励まそうと家族の記録映画で励まします。

そこで、ちょっとした事件が起こります。

 

サミーが高校生になった頃、家族はお父さんが良い会社に引き抜かれ、アリゾナ州に引っ越すことになりました。ここは、ユダヤ教の人たちが少ない地区のようです。

サミーは学校で差別を受けます。

 

ハリウッド映画も以前は、俳優さんのほとんどが一度はユダヤ人の役をやったのではないかと思うほど、ユダヤ人を扱った映画が多かった時期もありましたが、だんだんに黒人を扱う映画が増え、今ではアジア人ですかね。

ちょっとそんな事を思い出しました。

 

あと、転校による環境の違いがすごかったですね。

私も何回か転校をしていますが、東京の某地区から神奈川の某市に転校した時に

東京にいた時は着せ替え人形や、ゴム段、はじめの一歩とか子供らしい遊びをしていましたが、

5年の3学期に転校したら、みんな大人っぽくて、まず、ランドセルを背負っている人がいないところで勉強も5年で勉強することは全部終わっていて、参考書の問題集を解いていました。力の500題とか、そんな問題集だったと思います。

毎日勉強時間を記入して出さなくてはいけなくて、最低でも自宅学習は3時間以上でしたが、放課後の遊びはバレーボールだったような気がします。カップルなんてもいましたし、当時としては珍しく異性同性関係なく恋愛が普通の学校でした。

かなり戸惑いましたが、まだ幼い弟君の方が大変だったのかも。

女の子たちに追い掛け回されたり、学校に行ったあと、休み時間に帰って来てしまったり、母は、環境に慣れない弟にかかり切りだったのかもしれません。

 

転校というものは、何かしら異物が入ってくると言う事で、抵抗を受けるものかもしれません。次女は、6年の時に家で読んだ本を書かなくてはいけない宿題で、そんな難しい本を読んでいるはずがないとか、読んでいる冊数が多いとか、非難を受けましたが、周囲の人たちがどんな本をよんでいるか知らなかったために、正直に書いた結果でした。塾通いが多い小学校だったので、本を読む時間もなかったのかもしれません。ゆとり教育をしている学校と、まだ導入していない学校の違いで、その違いにびっくりした覚えがあります。

 

 

サミーは、初めての新しい土地で、しかも身長の高い同級生が多いというのも、圧倒されますよね。頼みのお母さんも馴染めないのか、サミーはかなり苦労しますが、キリスト教ながら、ユダヤ教の彼に興味を持ってくれる彼女が出来て、再び映画づくりを始めます。