リンゴご訪問ありがとうございますリンゴ


今日は仙台から横浜へビューン長音記号2
という訳で、現在ワタクシ横浜におります音譜


私は18歳から20歳まで保護観察処分のもと
定期的に保護司と面談していました。


刑務所などの刑事施設や少年院で処遇を行うのが
「施設内処遇」
保護観察処分は「社会的処遇」と言われるものです。

自分の状況や考えていること、感じている事を定期的に報告し、保護司に指導を受けるのが保護観察。



暴走族などに属しているとバイクの無免許や他チーム
との喧嘩(傷害)で捕まる事が多く

正直、処分としては少年院でもおかしくなかったんだけど、私の場合は処分が下る前に病院に就職していた事が響いて保護観察で済みました。



それでも保護司を訪ねるのが面倒で、一度サボった事があったのですが、母が泣かされるまで保護司に説教されていたのを知り、その後は最後まで通ったなぁ汗


当時、私の保護司だった人は60代で
どちらかといえば印象は「おじいちゃん」って感じの
人でしたが、温厚な時と厳しい時の落差が激しくて
会う度に緊張しっぱなしでしたあせる



色々教えられた事は多かったけれど、中でも

自分の人生は自分で責任を取るものであって
親のせい、友達のせい、大人のせい、社会が悪いって
何かに責任をなすりつける事を言い訳に生きてちゃ
ダメなんだ

どんな生い立ちだって環境だって
真面目に誠実に生きている人がいっぱいいる

例えばみんながみんな非行に走るわけでもないし
犯罪者になるわけでもないし
言い訳しながらみんなが悪人になってしまったら
世の中どうなってしまうと思う?

言い訳しながら生きていく選択をしているのは
結局自分でしかないんだよ



という言葉は今でも忘れられません。
保護観察卒業の前、そういうお手紙も頂きました。

自分が悪いんだって自覚はしていても
何となく誰かのせいにしてしまいたくなる事がある。

でもそれはただ誰かのせいだって思う事で
少しでも自分が楽になりたいからなんだって
現実を突きつけられる。


保護司との面談はその繰り返しの中で
自分自身を見つめ直す時間だったのだと。



いいも悪いも自分のしたこと、していることを
誰かのせい、何かのせいにはしない生き方


私は自分が死ぬ瞬間まで、そうだといいなって
思いながら生きてますニコニコ


あの頃の保護司の方が今も生きておられるかどうか
わからないけど(区画整理で家がなくなっていたので
あせる)

お陰様で幸せに生きとりますって報告したい
笑い泣き


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