今月、最後の夏の雲丹をたべに
札幌の予約をしまくった。
レストランのスケジュールパズルも
ようやくうめることができた✌
※ENVIRONのご購入は「▶招待コード」が必要です。
その前におしらせ。
大変お待たせいたしました!
ついにKADOKAWAさんとのコラボ
ミニウォレットが順次発送開始となります🚚
ぜひお届けまで楽しみにお待ちください♩
そんなこんなで
レストランの調整に
ヒーヒーいっていた7月。
この本を買った。
これは6月に出版されたときにも
気になっていた本。
浜田さんという
フーディーがかいた本です。
この本ではフーディーの定義として
世界中を飛び回り、現地のおいしいお店で食べる。これを日常的に繰り返している人たち
としている。
世の中には美味しいお店がすきな
人はたくさんいますが、
あきらかにそれ以上に食への探求心が強い
フーディーの人たちがいる…👀
私はそこまで探求心はないので
なぜ彼らがそこまでの美食を
もとめて食べあるいていいるのか?
をしりたくて手に取った本です。
結論
この本はめちゃくちゃ面白くて
フーディの人たちの食への考え方
のみならず
食にたいしての向き合い方、
実際のレストランの選び方など
わたしたちパンピーにも実践的な
こともかかれている「食の実用書」であった。
フーディーはなぜ存在するか
著者によると
食べることを3段かいで明確に区別している
1)栄養摂取(生存行為)
2)うまい(本能としての欲求)
3)美味しい(文化的知的好奇心)
人は、栄養摂取はうまい、だけのために
飲食店にいくわけではないはず。
その逆は、1)
「生命維持のためだけに食べる」
栄養食品バーをたべてるエシレ男は
文化的教養がないということになりますね。
※どんだけこのネタだすんや~
フーディーと言われてる人達は
3)文化的価値を評価しているそうです。
この本をよめば
「美食」に対する偏見がなくなり、
知的体験としての食事がまっている。
レストラン、料理人、客、日本、世界
食を取り巻くそれぞれの視点で
美味しさの背景を紐解いていく。
美食=高級ではない。
美食は、文化をまるごと食べること
自分はどんな食べ方を選ぶのか。
なにに生きがいを求めるか
食事はその人の「生き方」を
表すもの、だという。
なるほど…👀
たしかに、たまーに美食をすると
そこから得られる知識の量🧠が半端ない。
それをトリガーにして
食材や文化に対する知的好奇心が
わいてきて調べ始めたりする。
これは文化的行動なんですね〜
たしかに、まったくここがわからない人と
わかってる人が同じ食事をしても
その食事へのとらえ方が違うと
想像できますね。
最上の5%がわかるひとたち
じゃあ、べらぼうに高いお店に
いけばいいかというと違う。
これは私が身をもって
経験したので断言できる。
味覚というのは
食べて育つものなので
訓練が必要なのです。
段階が必要なんですね。
だって評価が高すぎる超高級店に行って
自分に味のレベルがわかるか❓
といわれれば、わかるわけがない。
美味しい、としかいえなければ
分不相応ですね
なので、私の基準としての話ですが
コース30000円以下を基本としている。
この本にもかいてありますが
美味しいゾーンでも
ある一定のレベルになると
あまりどこも変わらなくなる飽和状態になる
まずはこのゾーンの美味しさの違いが
わかるようにならないと
さらにそこから頭ひとつ出た
超美食ゾーンのお店の味の
判断ができないというわけです。
ちなみに残り5パーのお店の価格帯としては、
最低50000円以上のところも多い
👇私のイメージ
その5%のお店は、残念ながら人を選ぶ。
味がわかる人間でないと理解できないし
凡人がいっても非常にコスパがわるい
そのレベルのお店を
比較することができる。
それが美食家たちだと
わたしは思っている。
たとえば師はまちがいなく
そのレベルの人間。
毎日のように有名店を食べ歩いている。
以前、美食の仲間ができたとき
あまりに美食すぎてついていけませんでした
こういう方々もこの部類ですね。
この5%の違いを楽しめる世界なのです。
最近のレストラン事情
体感なんですが、日本の高級店は
いまや半分はインバウンドの方ですね。
下手すると、日本人の方がすくない。
北陸一といわれる「めくみ」さんでも
私たち以外は全員外国の方でした
以前京都でお鮨食べた時も
私以外全員外国の方だったな。
OMAKASEで予約できるため
どこにいっても外国人。
日本の有名店は外国人により
発掘しつくされている。
だいぶ昔に、誰かが言っていた。
東京は世界中の美味しいものがあるのに
その地の利をためさないのはもったいない、と
ほんとうですね。
こんなに物価があがるまえに は
超高級店でも3万円〜とリーズナブル
だったのに今や高騰している。
あの頃もっと食べ歩いていればよかった…
いまや日本人が日本のおいしいものを
たべれない貧しい時代に突入してしまったのだ、、
そのかわり
インバウンドの人たちがたくさんきて
日本中のレストランを埋め尽くしている。
料理人の在り方
この本で興味ぶかかったのが
料理人というのは、いかなる食材も
おいしく変化させることこそが
技術だみたいなことがあって
なので、たんに
食材を切って出すだけとか
素材の味をいかして~とかいって
まるのまま出したりするのは
料理ではない
とありました。
まさに~と思います。
だって素材の味をいかして
蒸しただけ、なんて家でもできるさー。
先日、美術館のようなレストランに誘われ
どんな料理がでるのか食べログみたら
こんなんがでてきた。
ぱかっとわった写真もあった
「これはゆで卵では…」
などと思ってしまいまして。
盛り付けにもセンスが感じられない
こーゆー料理なのかもしれないが…
わたしはこの料理はたべたくナイ…
みなさんはどうでしょうか
文化的美食を意識するには
日本には
ここまで美味しいものがあるのに
なぜ日本人は食を追求しないのか。
日本は十分豊かだし、
発展途上国のように背伸びをする
必要がないために
よくもわるくも「身の丈でいいよね〜」
という国になってしまっている、そう。
著者は
背伸びのすすめをしている。
これはそのとおりですね。
ハードルが高いものほど奥が深い、
知識になる
「うまい」だけでいいのであれば
予約なしでも入れる一般的な
可もなく不可もなくのお店にいけばいい。
がしかし
未知の味覚を理解することで
味覚がひろがり世界がひろがる。
これはなんとなくわかります。
主に旅先でですが、
おいしいものを探して食べ歩いていると
勉強になることが多いのです。
それは味覚の話だけではなく
その地の食材や、旬についてだったり
どういう組合で素材が流通してるかとか
隣り合わせた人とのコミュニケーションも学べる
茶道を習うと日本文化が関連付けて
考えることになるのと同じで
おいしいものは多方面の知識が
広がる感じがします
なので、ちょっと背伸びしてでも
ほんとに美味しいものをしることは
成長になると感じます。
こんな私でもそうなので、
美食の方々はどんなに学んでいる事でしょう。
なので、
お店選びというのは、かなしきかな
その人の経験がもろに出てしまう…
洗練✨
洗練するには、鍛錬が必要なのですね。
鍛錬したーい!
というわけでまた旅に出る
まとめ
うーん。
実におもしろい本であった~
これを読んだら、
何も考えずにたべてるひとと
食にむきあうひととで
いかに教養の差が開くか?を
目の当たりにした本でした。
だからといって、
美食=高級なわけではないので
文化的な教養として誰にでも
役立つ本だとおもいます♩
食べることって人間本能ですからね
ここを文化的にとらえて
違った見方をできればたのしくなりますね。
ぜひ読んでみてください。
おまけの話
台風7号がきて
札幌がすべてパァになりそうな予感
ではまた。
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